M・R・ジェイムズのある短編に毛の幽霊が出てくる。居眠りしている主人公のだらりと下げた手が、何か毛むくじゃらなものに触れる。とそれは、ぬうっと起き上がり、見れば姿も形もない髪の毛ばかりなのだ。この気色の悪い幽霊は、つまり毛に対する人間のコンプレックスの現われだろう。

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ハレに対する「ケ」である。ハレが特別な日だとすれば、ケは常日頃、ふだんである。ハレはフォーマルで、ケはカジュアルである。ところで現代ではハレは衰退傾向にあり、ケが多くの局面を覆いつつある。ジーパンと使い捨てライターが、つまり、「ケ」の時代の象徴である。

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ゲイ

同性愛者でも細かな区別があるらしい。私はそのなかでは、ニューハーフとかミスター・レディとかいわれる女装ゲイに共感する。差別とか人権とかモダンなことはいわないで、異類異形の者を覚悟して生きる、いわば雄々しさを感じるからだ。ゲイとは関係ないが、ヤンママも、わりと好きだ。

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経緯

散歩の途中で、中学時代のエースに会った。「この前はよう飲んだなあ」彼はいった。先日、中学時代の同級生五人が朝まで飲んだのだった。「秀才はどうした?」私は聞いた。20年ぶりでこの町に帰ってきたクラス一の秀才も、その夜一緒だったのだ。「変わってたなあ、あいつ」

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鯨飲

鯨のように飲むということ。なおその上に沢山食べれば「馬食」ということになる。どちらも豪快で、いっそ気持がよいが、あんまり鯨飲が過ぎるとロクなことにならない。鯨のように飲んだ揚句に鯨のように吹き出すということになりかねない。あるいはじじむさい話だが肝臓を悪くする。

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警戒

「われわれが心の底を見せることができないのは、ふつう、友達に対する警戒心よりもむしろ自分自身に対する警戒心のせいである」。ラ・ロシュフーコーはいう。臆病な人間として付け加えるなら、その警戒心をけどられないようにさらに警戒したりもするのである。チェッ。

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計画

「計画というものは、いつでも、それ自体の内に成功させないでおこうとする動きが含まれている」。金井美恵子のある小説のなかの言葉だ。恐らくあらゆる計画は、バベルの塔の建造計画につながっているように思える。生というのは、本来は、もっといい加減なものにちがいない。

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警官

近所のうどん屋で、うどんを食べていると若い警官がはいってきた。緊張した顔で、何事が起こったのかと思うが、隣の交番まで出前を届けてほしいということだった。どこかのなまりがある。たぶん着任したばかりなのだろう。制服を着ていること自体に緊張していたのかもしれない。うどん屋の大将がおにぎりをおまけしてやっていた。

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景気

景気に明るさが出てきたという。この夏の猛暑も景気回復にひと役買っているらしい。不平家の私は、不景気でも涼しいほうがよかったのにと考える。大体40度近くの炎天下にあくせく働くのはよしたらどうだいと八つ当りしたくなる。釈然とせざる扇を使ひけり 森白及。

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囈語

「誰でもくだらないことを言わない者はない。困るのは、心してそれを言うことである」。モンテーニュはいった。もしモンテーニュの時代にテレビがあったら、彼はもっと困ったに違いない。われわれがそれほど困らないのは、テレビが心していううわごとを、視聴者は決して心して聞かないからである。

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鶏口

「鶏口となるも牛後となるなかれ」という。大きな団体の尻にくっついているよりも小さくとも一家を成せということである。ところで漱石につぎのような句がある。「秋風や屠られに行く牛の尻」昨今のリストラを詠んだものではもちろんない。自らの痔の手術に際してひねったのである。

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螢光灯

母一人子一人の母娘の感情の微妙な行き違いを「螢光燈の空々しい光」が照らす、というシーンが里見とんの『秋日和』に出てくる。小津安二郎が映画化したこの短編は1960年に書かれた。螢光燈が白熱燈を駆逐しつつあった時代だろう。そして我々の情緒は、たしかにその時点で変化している。

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刑事

「実はなあ」散歩の途中で会った中学時代のエースは、浮かない顔でいった。「うちに刑事が来たよ」市会議員に賄賂でも贈ったか、と私はいった。エースは叔父と一緒に水道工事業をやっている。私の冗談を無視して、エースはいっそう深刻な顔をなっていうのだった。「秀才の件でや」

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軽食

妻と子供を連れて実家に帰ったまま、まだ戻らない。食うことがだんだん面倒になってきた。だが腹が減るので仕方がない。焼きそばでも作ることにする。ビールを飲みながら焼きそばをつつき考える。昼は何を食ったか。喫茶店でスパゲティか。軽食ばかり食べているのに、体重は重くなる。

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軽率

ブルガリアの諺はいう。「舌をすべらすよりも、いっそ足をすべらすほうがよい」。だが本物の軽率な人間ならば、両方ともすべらすものである。しかも軽率な人間の楽しいところは、同じ誤りを何度も繰り返すことである。いいやつには違いないのだが、ときどき本気で腹が立つ。

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携帯電話

こんなに普及した携帯電話だが、そのありふれた風景にいまだに馴染めないでいる。見も知らない人間の私生活をふいに覗かされたようで、まごつくのだ。それは人前でいちゃつくカップルに多少似ている。実際携帯電話を使っていちゃついている男も時々見かける。

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境内

散歩の途中、神社や寺にぶつかると、つい入ってしまう。手を合わせ、境内には大抵巨木があるので、夏だとその下で休む。われわれの子供の頃は、境内は格好の遊び場だった。だが今はその姿を滅多に見ない。そもそも町で遊んでいる子供自体を余り見かけないのだ。そんなことを、境内に腰掛けてぼやっと考える。

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啓蟄

まだまだ寒いある日、強盗殺人かなにかのニュースを伝えたあと、不意に表情を緩めて女性アナウンサーがいう。「今日は二十四節気の一つ啓蟄です」。それを聞くとこちらも穴から出てきた虫のように、何だか伸びをしたい気になる。べつに何の役にも立たないけれども、百姓みたいに季節の話題をするのは、ちょっといい。

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毛糸

母が毛糸を巻き取る、その手伝いをよくした。毛糸の環を両手に掛け、母が巻き取るのに合わせてゆっくりと揺するのだ。白秋は詠んだ。「やはらかに赤き毛糸をたぐるとき夕とどろきの遠くきこゆる」その詞書。「思い出の赤き毛糸よ、夕暮れの薄らあかりにたゞたぐれ、静こころなく」。

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軽蔑

フランスの諺にいう。「親しさは軽蔑を生む」。例えばドストエフスキーが君の夫だったら、君はこの文豪を博打好きの甲斐性なしとしか見ないだろう、私は妻にそう説明する。妻はいうのだ。でもあなたはドストエフスキーじゃないわ。そこで私はあまり妻に親しみを感じられなくなる。

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敬礼

女は中尉を駅まで送る。今日が初対面の見合いの相手だ。この縁談を女は断ったのだ。女には恋人がいるからだ。その恋人は戦地にいる。中尉もすぐに戦場に行くのだ。「よく送ってくれました」そういって中尉は敬礼する。川端康成の『小切』という掌編小説のラストシーンだ。

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敬老

「老いたるより見たる若きが仕事は滑稽なり、若きより見たる老いの仕事も滑稽なり」。斎藤緑雨の言葉だ。おそらく老人を敬うのが困難なのではない。老いたるにせよ若きにせよ、他人を敬うこと自体がなかなか難しいことなのだ。葡萄たれとしよりの日のつどひ見ゆ 大野林火

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劇場

『あめりか物語』に永井荷風はこう書いている。「ここに半夜を費しやがて閉場のワルツに送られて群集と共に外へ出(いず)るや、冷たき風颯然として面(おもて)を撲つ…‥余は常に劇場を出でたるこの瞬間の情味を忘れ得ず候」。こういう情味は劇そのものより、時には意味深いものなのだ。

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げじげじ

この益虫を気色悪がるのも、毛に対するコンプレックスの現れではなかろうか。げじげじが頭を這うと禿になるという言い伝えも、そのことに関連しているのかもしれない。もっともコンプレックスとは、すなわち愛憎の複合なのであって、げじげじを嫌う同じ心が、毛皮やヘア・ヌードに執着させるのである。

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景色

「景色は気分だ」。スイスの哲学教師アミエルは、彼の有名な日記にそう書いた。この俳句のような風景論は、ひっくり返すこともできるだろう。つまり気分は、しばしば景色に左右されもするのである。「さあ、妹よ、希わくは、急いで散歩のなりに変え、」(ワーズワース・田部重治訳)。

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消しゴム

消しゴムという文房具は、本来の用途に使われることは、むしろ少ないのではないか。ハンコに彫られ、さいころになり、つぶてとして投げられ、無意味に鉛筆でぶつぶつをつけられる。私は消しゴムを最後まで使い切ったという記憶がない。多分虐待に耐えかねて脱走するのだ。

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下宿

四畳半流し付き、西向きについた窓。下宿の夏は暑い。冬は寒くて、秋は淋しい。春は新鮮な季節だ。年度が改まり、また新入生が入ってくる。もっとも二年続けて留年ともなれば、新鮮な気持ちはなくて、むしろわびしい。桜は咲いてすぐに散る。何年かぶりに彼は五月病を患う。私のことではない。共有地化した私たちの学生時代のことだ。

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化粧

『「いき」の構造』は暗示的な薄化粧がいきで、露骨な厚化粧は野暮だという。そして著者が示す資料は、江戸の化粧は上方みたいにべたべた塗らないと語る。江戸時代からすでにに大阪の女性は厚化粧だったのだ。

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毛脛

クレープのシャツにステテコ、それに腹巻という典型的な夏の親父のスタイルは、最近はバカボンのパパかコントの植木等くらいしか見かけない。近頃はTシャツに半パンというのが一般だろう。毛脛を見せているのは共通だが、ステテコから覗いているほうが、見た目に床しく涼やかだ。

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下駄

町の博物館で四百年前の下駄を見た。ほとんど痕跡を留めない木切れだったが、鼻緒の所にかすかな朱色が認められた。女物だ。それにしても昔の人の足は小さかったんだな、と思っていたら10歳くらいの女の子のものだという説明。歴史が思い出に変わったような懐かしさを感じた。

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月刊誌

子供向け週刊誌『少年マガジン』と『少年サンデー』が同時に発行されたのは1959年だった。それまで子供は戦前の子供と同じく、雑誌の発売日を1カ月間のんびりと待っていたのだ。きびきびとして落ち着きのない現代っ子の出現は、週刊誌の登場と無縁ではなかったかもしれない。

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血気

「年をとるほどさかんになる血気などというものは、狂気から隔たること遠くない」。ラ・ロシュフーコーは、血の気をまったく感じさせない冷ややかな調子でいう。これはたとえば、政治や経済に携わるおえらがたを眺めるときに、なかなか参考になる意見だ。

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月経

小学校の修学旅行の前だ。女子だけが講堂に集められ、男子は自習だという。何か秘密の雰囲気があって、それを男子は勿論感じていた。中には偵察に行くものもいた。講堂から出てきた時、女子に威厳がついたように思われた。男女の性差はこうして重大に意識されることになるのだった。

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結婚

私は結婚する際、大いに尻込みした。だがいざ結婚してみると、それは何でもなかった。就職の時もそうだった。自動車免許だけは尻込みしたままで、取りにいかずじまいだ。もし今が戦争中で、徴兵制が敷かれていたらどうだろう。一応尻込みはしたとしても、拒否するのは結局困難だろう。

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決闘

人間のやることは、つまり遊びだという歴史家ヨハン・ホイジンガは、個人的な決闘は、しばしば全面的交戦の導入部か、それに付随するものだといっている。冷戦時の米ソの宇宙競争も一種の決闘だった(映画の『ザ・ライトスタッフ』は、宇宙競争を西部劇に見事に矮小化してみせていた)。サッカーの国際試合が戦争に発展するというのも、つまり同じ理屈だろう。

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下卑助

げびたやつを、人の名前にしてこう呼ぶそうだ。「へへへ」とげびた声で笑う下卑助のげびた顔が目に浮かぶようだ。下卑蔵というやつもいると広辞苑は書いている。こっちの方がもっとげびていそうだ。下卑助はやせていていて、下卑蔵はちびで太っているという感じが何となくする。

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ゲーム

「世の中はカルタ遊びのようなもので、なにもかもごちゃまぜになり、選り好みするものはしばしば一番悪いのをひきあてる」(田辺貞之助訳)。フランスの風刺詩人M・レニエはいう。「世の中はカルタ遊びなんかじゃない」私はいう。それが、つまり選り好みしていることになるわけだが。

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中学時代のエースは煙草に火をつけた。「やめたんやなかったんか」禁煙してすでに1年半たつ私はいった。「意志の弱いやっちゃな」それには答えずエースはいった。「秀才が変わったんはあたりまえや、おいどっか涼しいとこに行こや」残暑のなかに煙草の煙が滞る。「長い話になるで」

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げろ

『現代用語の基礎知識』の若者用語の解説に載っていた強意語。例えば「げろうま」というのはすごくうまい意味する。この言葉から、私は開高健のある短編小説に啖壷の啖を啜るというエピソードがあったのをふと思い出した。その小説は、啖は生ガキに似ているとか何とかいうのであった。

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言語

「言語にとらわれていることほど、開拓者的、狩猟者的、前政治的ヒーローというアメリカ的イメージとかけ離れているものはあるまい」。W・H・オーデンはいった。そういうわけで例えばヘミングウェイは、言語に関心のなさそうな文体を、苦心してつくらなければならなかったのだ。

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賢者

「賢者は恋をしない」エピクロスはしれっといっている。恋をすると心が落ち着かず、そういう心は賢者にふさわしくないからだ。ところでわが不毛の恋愛史を顧みて、オレもなかなか賢者だったなと思う。もっとも岡惚れの数多い惑乱には目をつぶるとしてだが。賢者はつらいよ。

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喧噪

「世界がもし、真に考える生物にみちあふれていたならば、あらゆる種類の騒音が無制限に放任されているとはどうしても考えられないであろう」(斎藤忍随訳)。ショウペンハウエルは忌々しそうにそういっている。だが当の哲学者だって、厭世主義のわりになかなか声がでかいと思うが。

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現代っ子

1961年の流行語。高度経済成長期の子供といえるだろう。活気があってドライでといった印象の言葉だ。「カギっ子」という言葉は、この2年後に生まれた。両親が共稼ぎで留守なので、鍵を持っている子という具体的な言葉である。現代っ子に疎外の影がさしてきたといった風だ。

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剣道

私には剣道の経験がある。別に自慢しているわけではない。やったのは中学校の三年間だけで、おまけに大変弱かったからだ。もちろん段は持っていない。少年一級という資格だ。中年の今でもそれが有効なのかどうか分からない。もし有効だとすれば、我ながらちょっと猥褻な気がする。

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検便

小学校の検便の日はハレの日だった。男子も女子も、そうだ男子も女子も、大便の入ったマッチ箱を提げて通学した。教室は懐かしい匂いで充満し、げらげら笑ったり、真面目腐った顔になったりした。小学生の私生活の核は何といっても大便なのに、それが今や、公の場に持ち出されたのだ。

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権利

近所の公園に1人の老人が住みついてもう5年かそこら経つ。一つのベンチが完全に彼の所有物になっている。その上に雨や日差しを避けるテントが掛けてある。彼は寝転んだりラジオを聞いたりしている。夕方になると悪い足をゆっくりひきずりながら酒屋の自動販売機に缶ビールを買いにゆく。

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