維摩経に衆香の国というのがあって、そこでは様々の木の下に聖者が座り、それぞれの木の香りを嗅ぐことで悟りを得るのだという。一つの木の香りから一つの悟りを得、他の木の香りから別の悟りを得る。聖者や悟りに無縁にしても、孤独な散歩者としていわせてもらうと、木陰にいるのは、たしかにほっとすることではあるようだ。

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キーホルダー

派手な柄の絹のシャツを着た小男が鍵の束をじゃらつかせながら店にはいってくる。キーホルダーをカウンターに置き、アイスコーヒーを注文し、携帯電話で立て続けに電話する。女主人に下品な冗談をいいつつ彼は出てゆく。ベンツの後部座席に七人の小人のぬいぐるみが並んでいる。

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議員

キルケゴールは『現代の批判』の中でこういった。「代表制は代表しはするが、一体誰を代表するのかはっきりいえない。代表制は諸々の関係についてよく考えはするが、それが誰のためなのか、全くのところはっきりいえないのだ」。こういう政体に熱烈な関心を寄せるのは、わりと困難だろう。

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喜雨

旱魃の後の雨のこと。ところでいぜん、妻の実家で田植えをしたことがある。沢山でもないし、しかも機械植えなので大した労働ではなかったが、それでも足腰が多少痛くなる程度には体を動かした。田植えの当日はよく晴れていたが、翌日は雨が降った。旱魃のあとなどでは、もちろんなかったが、それでも私のなかの農民の血はちょっと喜んだ。

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キウィ

動物園の夜行性動物館で一度だけ見たことがある。もっとも暗くてよく見えなかったが。この手の妙な鳥は、ドードーと同じ運命をたどるのだろう。漢字では「奇異鳥」と書くのだと広辞苑はいっている。靴墨の缶に、この鳥が描かれていたのを思い出した。あの缶は好きだったな。開け口の金具がしゃれていた。中味がなくなったらちょうだいね、と父親の靴を磨く母親にねだった。

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記憶

今の男は何なんだい、私は女主人に聞いた、派手なシャツを着たあの下品な小男は。昼間は喫茶店、夜は飲み屋になるこの店の女主人と私は中学校の同級生だった。私は夜は滅多にこないが、昼は散歩の途中に時々立ち寄る。「あら忘れたん」彼女は、皮肉な笑顔を浮かべていう。「クラス一の秀才やった子ォやんか」

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気温

冬は零度か時にはそれ以下になり、夏には時々40度近くまで上がる。春と秋では、同じ気温になる日もあるだろうが、その印象は異なる。春ならば暖かいと思うだろうし、秋なら涼しく感じるだろう。そして気温が一、二度異なるだけで、人は和んだり、わびしい気持になったりする。

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機械

男として生まれて機械に興味がなかったり操作できなかったりするのは、恥ずべきことだ。こうした暗黙の固定観念が産業革命以来形成されてきたようだ。若者が車の運転免許を取るのは、実用のためである以上にこの神話のためだ。機械は、しばしば雄の孔雀の羽のようなものでもあるのだ。

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幾何学的精神

『パンセ』は幾何学の心と繊細の心の分析から始まる。この二項式は、様々な変奏で、人性を流れ続けているように見える。私は幾何学の心には、全く気後れがする。作法を知らない田舎者のような気持になるのだ。一方繊細の心の前では密かに顔を赤らめる。私のもっているのは、つまり中途半端の心なのだ。

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企画書

「事を企てて成らざるはわれら人の常なるか。/朝にはかりごとを立て/ひねもすなすは愚行のみ」(ヴォルテール・池田薫訳)もちろんヴォルテールは18世紀の人で、現代の人間ではない。だから企画書が書かれては、せっせとシュレッダーに放りこまれていることを知らないわけである。

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聞き込み

友人たちと小さな出版社をしていたとき、事務所に刑事が聞き込みにきたことがあった。グリコ森永事件の頃で、無名の出版社で傍目には怪しげな男女のグループがではいりしているように見えたろうから、多少疑われていたのかもしれない。出入りの一人は確かに狐目でもあった。もっとも女性でしたが。

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帰郷

中学時代の同級生がやっている昼は喫茶店の店に、珍しく夜出かけた。客は、鍵の束をじゃらつかせている派手なシャツの小男だけで、彼はウーロン茶を飲んでいた。面差は変わっていたが、確かに中学校の同級生だった。ずっと旅でな、この町は20年ぶりや、彼はしゃがれ声でいった。

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企業

そうか企業というのは、さらに上級の学校なんだな。久しぶりに町に出て、リクルート・ファッションの中学生みたいな顔をした大勢の大学生に出会して、そう考えた。多分就職のための予備校のできる日も近いぞ、と知り合いの編集者にいったら、馬鹿、とっくにできてるよ、といわれた。

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着崩れ

谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』というエッセイで「不潔の美学」を説いている。「西洋人は垢を根こそぎ発き立てて取り除こうとする」が、東洋人はそれを保存して美化するという。「風流はむさきもの」ともいっている。たしかに文化というものは、多少着崩れしているほうが大人っぽいように思われる。

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既婚

W・サローヤンの『ママ・アイラブユー』に離婚した母親と、そのおしゃまな娘のこんなやりとりが出てくる。結婚は三幕ものじゃない、と母はいう。じゃなんなの、と娘は尋ねる。「結婚は三百万幕の芝居なのよ」離婚する気のない男の私ならいうだろう。結婚は芝居ではない。習慣だ。

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帰心

永井龍男の『往来』という短編はホームシック小説というべきもので、満州に単身赴任している男が妻子のいる内地に一時戻り、再び満州に赴く日常を淡々と描いている。妻子の何げない仕草や故国の季節の移りが心に染みて、家で読んでいるのに、帰心にかられるような気がする小説だ。

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最もひどい怪我の経験は学生時代に左手の親指を切ったことで、傷跡はまだ残っている。ソーセージの缶詰の蓋で切ったのだ。深い傷で下宿の流しが血で染まった。私はすっかり食欲をなくしたが、友人達はその腸詰を旨そうに食べたのだった。何だか自分の指を食われているような気になったものだ。わが「青春残酷物語」より。

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偽善

「偽善は悪徳が美徳に捧げる敬意のしるしである」。さすがにラ・ロシュフーコーで洒落たことをいっている。もっとも偽善にしろ悪徳にしろ美徳にしろ、人間性というものが信じられていてこそ意味がある。人間が視聴率の%で示される時代には、この素敵な洒落も余り通じまい。

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キセル

キセルで捕まったことが一度だけある。学生時代に京都から梅田行きの特急に乗った時だ。美術館でムンクの展覧会を見た帰りだった。そういうわけでこの神経過敏の画家の不安な絵が、十三の駅員室で注意されている自分の姿に重なるのである。もっとも叫んだりせず、不貞腐れていただけだが。

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擬態

虫のなかにはまったく妙な奴がいて、花や葉や枝にそっくりなのがいる。木の葉にそっくりなキリギリスなどは、虫食いの跡まで真似て造っている(誰に食われたつもりなんだ、お前は)。こういう擬態のいわばマニエリスムを見ると、生命の神秘というのも、なかなかにあほらしいもんだという気になる。

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帰宅

近所の肉屋には、年代物の「ハウス即席カレー」の看板が今だにぶらさげてある。ハウス食品の往年の商標が描かれていて、それはシルエットになった欧米風の家に「IN EVERY HOUSE」と白く抜かれているというものだ。それを眺めると、カレーの匂いのする子供の頃のわが家に帰りたくなる。

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奇譚

昼は喫茶店、夜は飲み屋という余りぱっとしない店で、中学時代の同級生が飲んでいる。一人はこの店の女主人で、二度離婚して、今は息子と二人ぐらし。私は売れない物書き、そしてもう一人は20年ぶりに故郷の町に戻った男。店の電話が鳴る。中学時代にエースだった男からだ。

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機知

「彼らはお互いに面と向かって侮辱するような事をいい、そしてそれを機智のある印だと思っているのでした」。機知の人、ヴォルテールはそういっている。たしかに機知は、誉めたり、感心したりすることには向いていないようだ。そこで機知縦横の人は、大概いやなやつなのである。

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喫煙

煙草をやめたのは、八年前の春である。とくに健康に気遣ってとかいうことではない。まあ何となくだ。二○年ほど吸い続けて、この辺でもういいか、という気になったのだ。吸い始めたときも何となくだった。それで二○年という時間がいつの間にか煙のように消えたわけだ。喫煙的無常を、多少感じる。

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喫茶店

「今が第一次隆盛期だと思うのがコーヒー専門店で、この現象は五年前に始まった」。植草甚一は72年に書いている。女の子向けのフランス菓子屋の喫茶室も増えている、ともいっていた。あの時期には学生運動だけがあったのではなく、こうした洒落た喫茶店で時間を潰す淡泊な若者もいたのである。

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帰田

「官職を辞し、田園に帰って農事に従事すること」(広辞苑)。もちろんちょっと田植えを手伝ったくらいで帰田を気取るわけにはいかないが、水田に手足を浸し、畦道でおにぎりを頬張り、作業の後にビールを呑んでいると、「田園に帰る」人々の気持は、仄かに理解できる気がする。仄かで十分だがね。

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絹ごし

豆腐は淡泊な食品のように思われているが、蛋白質の固まりなのだから、実は濃厚な食べ物なのだと吉行淳之介がいっていた。たしかにそうで、絹ごし豆腐の冷奴は旨いものだが、酒のアテに三丁も四丁も食べられるというものではない。「子供なく夫婦老いけり冷奴」(長谷川浪々子)。

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『宇治拾遺物語』に茸に化身した僧主の話がある。ある地方で食べ切れないほどの平茸が毎年取れたが、ある夜村人の夢枕に有髪の僧が立ち、この度引っ越しすることになったと告げる。それは茸の化身で、それ以来その村に茸がまったく取れなくなったのだ。茸には、そんなふうな綺譚の雰囲気が、たしかにあるようだ。

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希望

「希望はもっぱら人をたぶらかす」ラ・ロシュフーコーは、率直にいっている。だからそれが役に立たないとは、彼はいっていない。希望は人生の終着点にまで、われわれを楽しく運んでくれるというのだ。われわれは思いのほかお人好しらしく、幻滅より希望のほうを長持ちさせるのだ。

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義務

私は義務だといわれても実行する気にならないが、それが義理だったら、いやいやながらでも動く。義理は人間同士の関係のなかに生じる具体的なものだからだ。義務が義理化すれば、やはり動くので、たとえば息子を学校に通わせるのは、ある程度はそうしないと妻や彼女の実家の父母が悲しむからという理由からである。

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逆境

幾分被害妄想の気味のあったJ・J・ルソーは、つくづくといっている。「逆境は確かに偉大な教師だが、その授業料は高く、授業から得られる利益は、しばしばかかった費用に及ばない」。この思想家のいいぶんに従えば、若い頃の苦労は、まあしてもよいが、わざわざ買うまでもなさそうだ。

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キャッチャー

中学時代エースだった男がバッテリーを組んでいた男と久しぶりに会った。昔の捕手は頭のいい変わり者で国立大学を中退して世界を渡り歩き、今は小学生相手の塾をやっている。それで一緒に飲み始めてからエースはしまったと思った。こいつとは意見の合った試しがなかったのだ。

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伽羅蕗

「きゃらぶき」と読む。「蕗の茎を醤油で伽羅色になるまで煮しめた料理」(広辞苑)。伽羅色とは濃い茶色。妻の母の手製の山椒の実の入った伽羅蕗が届くと、もう夏だと思う。ごはんにもいいが、私はスパゲティに混ぜて食べるのが好きだ。「伽羅蕗の滅法辛き御寺かな」(川端芽舎)。

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キャリア

ラ・ロシュフーコーはいう。「我々は生涯の様々な年齢に全くの新参者としてたどり着く。だから、多くの場合、幾ら年を取っていても、その年齢においては経験不足なのである」。さてこれを聞いて我々は、ほっとすべきだろうか、それとも心細く思うべきだろうか。

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ギャル

ガールが段訛した米語。この言葉が、日本で流通し始めたのはいつ頃だったのか、その詳しい日時は知らないが、ギャルと呼ぶほかない若い女性の出現と同時期だったのは間違いない。軽はずみで威厳があって心は馬鹿という、新種の愛すべき女性の目覚ましい出現なのだった。

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救急車

夜の一時を回ったところ。外は寒く、なかは暖かい。ストーブの脇で本を読む。ミステリーかなにかを。紅茶を入れて、ビスケットをかじる。遠くで救急車のサイレンが聞こえる。気の毒に誰かが脳溢血か何かを起こしたのだろう。ところで部屋のなかの安全な感じは、その音でいっそう強まるわけだ。

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球場

今年はまだ一度も球場に行かない。上昇気配のないタイガースの調子を見ていると、今季はもう行かないかもしれないな、と悲観的な気持になる。球場でなら家でテレビを見る時のようにあんなに勝負に執着する筈ないのはわかっているのだが。さて缶ビールの栓を抜く、ぷふふとこもった音がする。

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旧態

煙草やめたんか、中学時代エースだった男にキャッチャーだった男が聞いた。ああ12回目かな、禁煙なんか簡単や、その証拠に何べんでもできる、エースだった男はそういった。それから嬉しそうにつけくわえた。どや、この警句は?捕手は、気のない返球をする。警句やない、うわごとや。

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教育

中学時代エースだった男と、彼とバッテリーを組んでいた男は、飲みながら教育問題を論じ合っている。どちらも教育者なのだ。エースは少年野球の指導者で、捕手は塾の経営者だった。議論は白熱していた。エースはムキになりやすく、捕手は面白がって揚げ足を取るタイプだったからだ。

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饗宴

中学時代にエースだった男と、彼とバッテリーを組んでいた男はすっかり酔った。それで三軒目かの店のドアを開ける。そこには私とその店の女主人と、二○年ぶりにこの町に帰ってきたかつての秀才が座っていた。よお、揃てるな、エースは怒鳴る。飲むぞ、捕手がすかさず返球する。

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行水

たらいの行水とワンルーム・マンションのユニットバスとでは、容積にそれほど違いはなかろうが、趣きは相当違う。若い女性の行水は無論いいが、老人の行水も風情がある。その老いた体をユニットバスに漬けるのは、多少無残だろう。「行水や暮れゆく松のふかみどり」(金尾梅の門)。

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競争

「嫉妬心と競争心の間にはどんな類似があるにしても、両者には不徳と徳の間ほどの懸隔がある」。ラ・ブリュイエールはいっている。競争なんて馬鹿げたことだと私は考えるが、それは私の嫉妬深さのせいかもしれない。明朗な競争などフィクションだと、私は更に嫉妬深く考えるわけだが。

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蟯虫

小学校のころ息子の蟯虫検査をやるのは、私の仕事だった。突き出した息子の肛門にセロファンを当てるのである。私も幼い頃こういう屈辱的な格好をさされたわけだが、考えてみると、他人の肛門を拝まされている現在のほうが屈辱的かなとも思った。馬鹿な母親は、ほろ苦い顔をしている父子を眺めてげらげら笑っていた。

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虚栄

虚栄心ウォッチャーとでもいうべきラ・ロシュフーコーは多くの名言を残しているが、ここは和製の警句を引くとしよう。三木清の言葉だ。「虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである」。もし人間が虫のような擬態を行ったとしたら、きっと鼻持ちならなかっただろう。

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切れ者

「切れ者らしく見せようという色気が邪魔して切れ者になれないことがよくある」。ラ・ロシュフーコーの言葉だ。17世紀の嫌味なフランス親父に、腹立たしくも、また目を開かされることになった。今の今まで、私は自分が切れ者だとばかり思っていたのだ。

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金魚

小津安二郎の『早春』だったか、世帯持ちの池辺良に惚れる尻の軽い可愛い切ない娘を岸恵子がやっていて、その仇名が金魚というのだった。そんな女性と知り合うのは、とても無理だから、せめて本物の金魚を飼おうかなと思う。「忘られし金魚の命淋しさよ」(高浜虚子)。

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