武者小路実篤の『お目出たき人』は、恋する男の生態を、とてもリアルに描き出している。恋する男というのは、はたからはたいてい大馬鹿者に見えるものだけれども、この小説の主人公も、まったくその通りで、大馬鹿者として行動するのである。そしてこの小説の真実な点は、この恋する大馬鹿者が、結局は振られてしまうという所である。

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恋猫

梶井基次郎の『交尾』という短編には、切なくも艶めかしい恋する猫の姿態が出てくる。肺病の主人公が、深夜の物干し台でそれを眺めるのだ。「お互いにきつく抱き合ったまま少しも動か」ない彼らを見て、主人公は息が詰まってくるような気がする。静かで悲しい生の描写だった。春の季語。

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コインランドリー

コインランドリーというものを、残念ながら利用したことがない。残念ながらというのは、つまりそれを利用する生活というものに多少憧れているからだ。わびしそうで、寂しそうで、不潔そうなところが、少しいいなあと思っているのだ。独身への郷愁だといってしまえば、それは、まあそうなのかもしれないが。

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幸運

「幸運に耐えるには不運に耐える以上に大きな幾つもの美徳が必要である」。相変わらずラ・ロシュフーコー公爵は穿ったことをいう。確かに不運より幸運に耐えることのほうが難しいのもしれない。というのは幸運な人は、自分が、単に幸運なだけだと謙虚でいられることは、まずないからである。

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公園

東京には何度も出かけるが、仕事の周辺を、貧乏くさくもじたばたするだけで、ゆっくり観光するなどということは、まずない。そういうわけで上野公園に出かけたのは、数年前に一度あるきりだ。西郷隆盛の銅像は、思ったより大きくて薄汚かった。外国人とホームレスの人が、ほとんどすべてのベンチを占領していた。野口英世の銅像もあるのだということをはじめて知った。工事中の国立西洋美術館に入った。不忍池を一周してみた。カイツブリが高い声で鳴いた。この日本最初の公園は、なんだか妙な公園だな、というのが感想で、東京をさほど好きでない私は、わりと気に入ったのである。公園を出て、どこをどう歩いたのか忘れたが、わりに大きな店構えの洋品店があって、看板に「若人の店」とあった。なかを覗くと、初老の主人がしょんぼりとレジに座っていた。しょんぼりしている理由はすぐに察せられた。はやっていないからだ。

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高気圧

高気圧には二種類ある。動かないものと移動性高気圧とだ。夏にわれわれを苦しめる太平洋高気圧は、もちろん前者である。移動性高気圧は春と秋とにあらわれる。移動性高気圧がいくつも連なるのが帯状高気圧である。「秋晴や空にはたえず遠白き雲の生まれて風ある日なり」(若山牧水)。

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甲子園

高校野球には、あんまり関心はないが、決勝戦のあとの閉会式だけはどうやら別だ。しかもそれは春ではなしに夏に限るので、つまりその時一つの季節の終わりが、青春の終わりに鮮やかに重なるからである。すでに高く赤トンボが飛び、勝者と敗者のただ二組だけが行進する。勝つこともまた寂しいものだなあ、などと考えながら、しみじみとおっさんはテレビに見入るわけである。

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香水

三島由紀夫の『クロスワード・パズル』は、ホテルの女性客とボーイの行きずりの姦通を描いた短編だ。男連れで一泊した女性が、部屋に残したのが「夜間飛行」という香水の壜だった。その壜に鼻を当ててボーイは匂いを嗅ぐ。階級的エロチシズムといったものが匂ってきそうな場面だった。ほんとに、この小説家は、アナクロニズムだなと思える名場面である。

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公設市場

全国に先駆けて公設市場が大阪に誕生したのは1918年4月だった。一般商店より平均2割は安く、主婦が大挙して押しかけたという。同じ年にできた公設市場が、わが町には今もある。つまり古臭い町というわけだが、進歩とか発展とかに関心のない人間には、中々住みよい町だと思っている(その近所の公設市場は、昨年ついになくなった。20世紀といっしょに置いていかれたわけである。私の幼年時には大変な賑わいだったのだけれど。子供のころ、笠置シズ子の『買い物ブギ』を聴くと、いつもその市場の賑わいを思い浮かべ、消費の陽気さと喜びを、感じたものだった)。

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紅茶

イギリスの家庭では、お茶をいれるのは神聖ともいえる母親の特権だ、とフランス人の書いたイギリスの生活の本にある。そこで男同士のときでさえ、お茶をいれる前には「誰がお母さんになる?」と聞くのだそうである。これは男女の役割固定化とかいう野暮ったい話では、もちろんない。

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校庭

放課後の校庭で少年が二人が鉄棒をしている。世界一真面目な顔でしている。一人は上手で、もう一人はそれ程でもない、いや随分下手糞だ。上手な方が熱心に教える。秋の午後の風は冷たいが、二人は汗をかいている。見ている私は鼻がつんとする。まるで私のおとついのことのようなので。

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高度成長

入口の昭和30年は、後楽園に本邦初のジェットコースターが登場し、トランジスタラジオが作られた。ラッシュの国電に押し屋が登場している。出口は昭和48年、オイルショックがあり、小松左京の『日本沈没』がベストセラーになった。18年も続いたのか、やりすぎだったな。

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好投

中学の野球部でエースだった男と、彼と同級生だった私は、炎天下の路上を避けて喫茶店にはいる。クラスで一番の秀才だった男の噂話をするためだ。店のテレビは高校野球の中継を流していた。大会屈指の好投手が好投している。エースは玄人の目でじっと見た。話はピッチングのあとだ。冷やしコーヒーの氷が軽く音を立てて溶けた。

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口内炎

右下唇の内側に口内炎ができた。それが熱をもって、心のひっかかりのような、そんな感じに痛痒い。口内炎は知らないうちにでき、それを気にする気持が薄れて、おやと思った頃には治っている。そんな所も心の屈託に似ている。痛みを確かめるように、私はそこを軽く噛んでみたりする。

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コウノトリ

コウノトリが赤ん坊を運んでくるという話は、オランダ、ドイツの発祥。子供のころ、そういう絵柄をアニメで見たが、くちばしにくわえた赤ん坊を包んでいる布はシーツではなくて、ナプキンらしい。古代ギリシャ人はコウノトリを、円満な結婚、食料品屋のつけなどの象徴と考えた。

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交尾

梶井基次郎の『交尾』は二部構成で、後半は河鹿の恋を描いている。作者は河鹿の求愛の声を聞きつつ思うのである。「この地球にはじめて声を持つ生物が産れたのは石炭紀の両棲類だということである。だからこれがこの地球に響いた最初の生の合唱だと思うといくらか壮烈な気がしないでもない。」梶井基次郎は大阪人らしくユーモアがあり、大阪人らしくないことに非実用的なスケールを持っていた。

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傲慢

ラ・ブリュイエールはいう。「皆がただただお偉方を笑っている間は、彼はただのお偉方であるが、皆がぼやき出せば、彼は既に傲慢不遜者である」。だがお偉方は、往々にしてこうした細かい点に気づかない。だから大抵のお偉方は、どしどし傲慢不遜者の方向に邁進してゆくことになる。世に傲慢不遜の種は尽きない。

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蝙蝠

遠出をして帰り道、川沿いに堤防を歩いた。既に日暮れて蝙蝠が盛んに飛んでいる。英国では蝙蝠に触れるとその人は死ぬというらしい。ところで、こんな狭い堤防にも車はどしどし入ってきて、蝙蝠よりこちらに触れるほうが、勿論危ない。「蝙蝠に足のもつるる家路かな」(森川暁水)。

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コオロギ

これも異常な夏のせいだろう。今年は蟋蟀の鳴き出すのが遅かった。私が最初に聞いたのは8月18日の夕方だ。外出先からの戻り道、煙草屋の自動販売器の下から聞こえてきた。「こほろぎのこの一徹の貌を見よ」(山口青邨)。ことのほか今年は、この小さな虫がいじらしい気がした。

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木陰

ヨーロッパ古典の牧歌のイディオムに「木陰の安逸」というのがあるらしい。素朴な羊飼いが木陰に身を横たえ、角笛で女羊飼いに思いを伝えるというのである。洋の東西を問わず怠け者の心をとろけさせるようなイメージだが、古典世界では、その木はプラタナスと決まっていたそうである。

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「隠れがが確かなら嵐もよいものだ」南フランス出身の作家アンリ・ボスコはいった。勿論かの地と極東の島国との風土の違いは明らかだが、強い風を安全な場所から眺めている、ひねくれた快楽は共通のもののように思う。それが寒い冬だと、とりわけ楽しい。ホットウィスキーでも舐めたりして。酒を飲みながら、いつまでも赤ンぼみたいなことを考えているわけである。

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ゴキブリ

人類は勿論、恐竜より昔から地球に住んでいた。種類は多いが、人家に出没して女性にキャッといわせるのは数種類。新聞紙を丸めて叩き潰すというタイプでは、私はない。ひっくり返して腹の所に台所洗剤を浴びせるというタイプである。「叩かれてゆがみ走りや油虫」(伊藤虹橋)。

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コギャル

『ロリータ』の作者はいう。「少女は九歳から十四歳までの間に、何倍も年上のある種の魅せられた旅人に対して、ニンフのような本性を現わすことがある」。それは「ニンフェット」と名づけられるが、コギャルは、勿論これよりもっとカジュアルで、企画書的で、市場調査的な概念である。

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コキュ

谷崎潤一郎の『少将滋幹の母』は悽愴な寝とられ小説、あるいはマゾヒズム小説だが、同工の『ボヴァリー夫人』や『永遠の夫』と比較してみると、そのコキュ的心意の幼児的多形態的倒錯の感じは、いっそうくっきりとしている。あるいは、これは被征服民の伝統的心意ではあるまいかとも思えるほどである。

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極道

「あいつな」テレビの画面に目を据えたままエースはいった。「やっぱりコレらしい」立てた右手の人差指を左頬のところで下に引いた。それは頬の傷痕を示す記号で、つまり極道という意味である。「知ってる」私はいった。十年前から知っていたのだ。クラス一の秀才だった男がヤクザものになったということを。ただなぜそうなったかは、私の単純な頭ではわからなかっただけだ。

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ココア

はてしなき議論の後の冷めたるココアのひと匙を啜りて、そのうすにがき舌触りに、われは知る、テロリストのかなしき、かなしき心を。石川啄木は歌っている。近代化のかなしみといったものを感じる。久しぶりに熱くて甘ったるくて乳臭いココアが飲みたくなった。秋だ。

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個食

「家族が揃って食事せず、各自ばらばらな時間に食べること」。広辞苑は説明する。なんだか寒々しい気持になるが、よく考えれば個食は高度成長以来、普通の食事の形態になったといえよう。その象徴的商品の即席ラーメンは1958年に登場した。孤食とも表記するが、こう書くとやはり多少淋しい。

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ゴジラ

私が親しんだのは、最初の本当に恐いモノクロームのゴジラではなくて、カラー画面に軽快に登場した高度成長期のゴジラだった。植木等のスーパー・サラリーマンや加山雄三の単純な若大将に互して、あの頃のゴジラは大変楽天的であった。ゴジラのくせに民主的であったり、マイホーム的であったりさえしたのである。

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コスモス

淡い色彩がとりどりで、単純にきれいではあるが、軽薄といえば軽薄な感じのする花だ。まあ花に罪はないわけだけれども。歳時記を繰っていて、こんな意地悪な句を見つけた。「コスモス共に咲かせ隣家憎みあふ」(川島彷徨子)。

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炬燵

さて外は木枯らしである。電気コタツは弱から中にした。さっき寒いなかを自転車に乗ってレンタル・ビデオ屋まで行ってきた。ついでにコンビニでビスケットを買った。紅茶をいれてビデオを見る。小津安次郎の『戸田家の兄妹』。佐分利信の含羞がいい。さて外は木枯らしである。

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御馳走

昭和19年6月、内田百けんは勤め先で「ウマイ物食ベタイ物ノ名前」を延々書き連ねた。時節柄食べられなくなったので「セメテ名前ダケデモ探シ出シテ見ヨウ」と思いついたのだ。ちなみに「ソノ後デ思ヒ出シタ追加」の分に「かまぼこノ板を掻イテ取ツタ身ノ生姜醤油」というのがある。

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骨酒

吉田健一は金沢で鯛の骨酒を飲んで、何だか海を飲んでいるような気になったと書いている。鯛を一匹塩焼きにしたのを大きな皿にいれ、熱い酒を注ぐ。これに火をつけ、魚をほぐしてから中の酒を飲むのだそうである。これは酒を飲むための工夫というより、料理なのだと吉田はいっている。

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コッペパン

「コッペは『切った』の意のフランス語クーペの訛か」(広辞苑)。仏語が何といおうと、コッペは脱脂粉乳と共にわが育ち盛りの主食である。給食で毎日出たのだ。おかずはうどん、ぜんざい、カレー等々。わが食の傾向は、悲しいことにこの給食のメニューに幾らか規定されている。

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孤独

我々の悪は、我々が独りでおられないところからくる、ラ・ブリュイエールはいった。パスカルも、我々が馬鹿なことをしでかすのは部屋にじっとしていないからだ、という。じつは人なつこいラ・ロシュフーコーは、孤独になれない人間の愚かしさを、彼自身人ごみの中にいて観察したのである。

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子供

自分が子供だったことを忘れずにいる大人は幾らもない、サン=テグジュペリは『星の王子様』の献辞に添えてそういっている。1939年には、そういうことがいえたのかもしれない。だが今ならこういいかえるべきかもしれない。自分が大人だということを忘れずにいる大人は幾らもない。

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コーヒー

『動く標的』という映画。ポール・ニューマンの私立探偵が朝起きてコーヒーの缶をあける。粉は切れていて仕方なく彼は屑籠をあさり、使いさしのフィルターで出がらしのコーヒーをいれるのだ。この場面だけ覚えている。アメリカ式枯淡というか、カウボーイ的わびさびを感じたのだ。

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「断じて媚は売らないと標傍するのも一種の媚である」ラ・ロシュフーコー公爵フランソワ六世はいう。そしてわが九鬼周造男爵は、媚を示して媚を売らないのが、すなわち「いき」だというのである。なんとなく辻褄があうように思える。二人とも露骨な媚は、はなから相手にしないだろう。

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ゴマメ

隣家の老主婦から教示されて、今年はうまく出来たと妻がいっているのを聞きながら、重箱につめる前のをちょいとつまむ。カタクチイワシの干物なのだそうだ。早く障子を張りかえろ、妻はせかせる。明日は新年という日。「自嘲して五万米(ごまめ)の歯ぎしりという言葉」(富安風生)。

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小指

「小指がなかった」中学時代エースだった男は、薄くなった冷やしコーヒーをまずそうに飲みながらいった。高校野球は終わって、第3試合が始まるまでにはまだ間があった。「飲んだとき見たやろ」意地悪そうな目で私をちらりと見て、エースはいった。ときどきこういう目で、この男は人を見るのだ。「いや」私は、多少ショックを受けていった。「それは知らんかった」指の欠損が、彼の30数年間のキャリアの欠損のように思われた。

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ごろ寝

ごろ寝の時には、うるさい家族が回りにいてはいけない。妻や子供には外出させる。読みたい本がなければならない。熟読しないでぱらぱらやるだけなので、5、6冊は必要か。それから気持のいい音楽と。夏なら庭に打ち水をしてからにしたい。ビールと、ちょっとしたつまみも欲しい。フロイトは、これをも就眠儀礼というであろうか。いうだろうな。

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昆虫

昆虫マニアは大きく二つの派閥に分けられて、それは甲虫派と蝶派だそうだ。この別れ方は、昆虫に全く関心のない私にも、何となく成程と思われる。前者が愚直な変わり者だとすれば、後者は躁鬱的なのではないか。数年前まで、わが息子は毎夏クマゼミばかり数百匹捕まえてきた。これはただの幼児性欲張りだったようだ。

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財界

「財界の名士がなくなってから、彼の追悼録に書きもらされたところを再考すると、その生涯は愚かな生活の連続であり、成功を追う狩猟であって、本当の生き方を知らなかったことがわかる」。ドイツの精神科医の書いた『馬鹿について』という本のなかでみつけた言葉だ。失敗に心惹かれる私は、そういうものを読んで、うれしそうに笑うのである。

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