悔い

「青春には失策、青年には苦労、老年には悔悟」。とほほ、という感じにさせられる言葉だが、そんなことをいったのはB・ディズレーリという19世紀イギリスの大物政治家である。作家でなくて政治家がそんなふうにつくづくいうというのは、イギリスらしいではないかと思う。森なんとかという人はとは、大分ちがうではないかと思う。

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食合せ

戦後派のわが家にはなかったが、田舎の祖母の家には、食合せの絵入りの表が台所に張ってあった。一緒に食べると害になるものをいい、たとえば西瓜と梅干を一時に食うと腹痛を起こす。祖母はとうに死んだし、こういう魔術的な思考も、へっついとともにいつの間にか台所から消えていた。

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クイズ

「“クイズ”的知識は、あまり高尚な形式の勉学ではないかもしれないが、若干のそういう知識を得ることを楽しまない者がいるだろうか?」(中桐雅夫訳)。W・H・オーデンはそういうが、わがテレビジョンの世界には「若干」などという基準はないので、うんざりするほどクイズを見せられることになる。

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ぐい飲み

「ぐい飲み」と「一気飲み」は違う。前者は連れがあろうとなかろうと、所詮は一人ぽっちだが、後者は常に集団だ。ぐい飲みは朗らかでも、それほど賑やかにはならない。一気飲みの場合は、陽気さがなくなっているのにまだはしゃいでいるといった感じである。大振りの盃のこともぐい飲みという。

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食う

「いっさいの善の始めであり根であるのは、胃袋の快である。知的な善も趣味的な善も、これに帰せられる」(出隆・岩崎允胤訳)。エピクロスの言葉だ。エピキュリアンは、時に美食家の意味に用いられることがあるが、それは「胃袋の快」と「舌の快」をごっちゃにしてしまうからかもしれない。

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空間

空間は、われわれには欠如と写る。そこで欠如は埋められなければならない。空間を埋めようとするわれわれの意欲は大変なもので、かつては困難をものともせずに海洋に乗り出し、地図上の空白が埋め尽くされると、今度は宇宙に目を向ける。フロンティアとは、こういってよければ強迫症の一種である。

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空気

われわれは飲んでいた。われわれというのは中学時代の同級生五人で、元野球部が二人いて、われわれが現にそこで飲んでいる店の女主人がいて、私がいて、そしてクラスでトップの秀才だった男がいた。元秀才は二十年ぶりにわが町に帰ってきた。彼ひとりだけはアルコールを摂取せず、懐かしそうに故郷の空気を吸っている。

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空襲

子供の頃、空襲の後の瓦礫の残るはらっぱで遊んだ。すでに高度性超時代の半ばになっていたが、依然としてそういう場所は点在していたのだ。遊びに熱中していた当時には、そんなことは思いもよらなかったが、長じて、懐かしい思い出とともに、ふと思い当ったのは、害虫を駆除するようにわが町は焼かれたことがあるという事実であった。

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偶然

あらゆる人間的事象は偶然かもしれないし必然かもしれない。必然と見る者は敬虔だとしても、しばしば堅苦しい。偶然と見る者は気楽だが散漫だ。そしておそらく余りアテにならない人物だろう。パスカルのいうように、偶然が与えた思いつきを、偶然が取り除くからである。

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空腹

「肉感の中で一番すがすがしい快感は空腹感である」。内田百けんは、そういう。エピクロスの胃の快楽主義の明朗な変奏といった感じだが、正確には空腹は快感ではなく苦痛だろう。ただ空腹を癒す手段を持っているという余裕が、それを快感に変えるのだ。その余裕が、つまりは人間的なものではないかと思う。

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くさす

「もしわれわれに全く欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずはあるまい」。ラ・ロシュフーコーは、相変わらず鋭くいう。だが時に起こることだが、この警句は、それを発した本人にも命中している。つまりこの貴族の警句は、人類的あらさがしなのだ。

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草枕

草が枕というのだから、つまり野宿のこと。昔の旅では、恐らく野宿は避けがたかったことだろう。それは現在の重装備のアウトドア・ブームよりは、むしろホームレスに近いものだったのではないか。風流はデラックスであるよりか、心細いものだ。「草枕なかぬ虫なる我身哉」(円寂)。

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くさや

関西生まれの私がこの存在を知ったのは『がきデカ』というマンガでだった。クサヤという魚がいて、その干物だと思っていたが、そうではなくて室鯵などを独特のだしに漬けて干したものだという。くさやの名の由来は、じつに単純で、つまり臭いかららしい。この歳になっても、見たことのないものは沢山あるが、依然としてくさやもその一つである。それで、幸か不幸か、その匂いも知らない。

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串を使う食い物は旨くて安い。焼鳥の串の数は、ついごまかしたくなり、串カツのたれの壷には「二度漬けお断り」とある。このセコサは安物でなくて何だろう。だがこのセコサも旨さのうちなのだと思う。「串」という漢字自体から、何だか旨そうだ。「焼鳥の串が洗つて干してありぬ」(山本馬旬)。

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「明日は下田、嬉しいな。赤坊の四十九日をして、おっかさんに櫛を買って貰って、それからいろんなことがありますのよ。活動へ連れて行って下さいましね」『伊豆の踊子』の主人公薫の台詞だ。買って貰うのが櫛だという所に色気がある。そして踊子は、古い櫛で拾った犬の毛をとかしている。私はこの台詞を思い出すと、涙ぐみそうになる。

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くしゃみ

私はくしゃみが立て続けに出る体質で、まず七、八遍は続けてやる。それで終わると何となく解放されたような気になるが、ハックショイに続けて「畜生」などとつけくわえるタイプではない。ところで空を見上げるとくしゃみが出そうになるのはなぜだろう。「くさめして見失ふたる雲雀哉」(也有)。

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苦笑

飲み屋の女主人が熱弁をふるう。彼女は、じつは中学時代のわれわれのクラスで二番目の秀才だった。「何の話してるんや、あいつ?」元野球部の一人で、大学を中退して世界を放浪し、結局地元で学習塾をやっている男が聞いた。「よう知らんけど」と私はいった。「ハイデッカーの話とちゃうか」。塾の教師は、笑って勝手に水割を作る。

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水菜と炊き合わせたハリハリは好きだった。だがもう一度食べたいと思うのは竜田揚げだ。鯨料理は日本の食文化で、それを守るべきだというのはもっともだと思う。だがそういう食文化が成り立つような産業の規模と環境に戻さなければ、鯨に対して不公平ではなかろうか。「初虹を吐出して行鯨かな」(為信)。

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愚者

フランスの諺に「愚か者は、賢者に教える」というのがあるらしい。賢者は、馬鹿の愚かな振舞いを見て自分の行いを正すので、つまり愚者は賢者の教師というわけだ。たしかに小気味よい逆説であるが、結局のところ、馬鹿はちっとも救われない仕組みにはなっている。

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葛湯

砂糖を入れて湯で溶いて、幼い頃、病気になると、母親は必ず葛湯を食べさせた。今から考えると大して旨いものではなかったなと思うが、病気という特権の甘美さに結びついて、子供の私は、それがいわばマナに思えるのだった。「葛湯吹く母はありけりわが前に」(八木林之助)。

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曲者

「上品な人々の生涯がほとんど退屈な読物になるのに反して、やくざな人間の生涯がほとんど常に興味深いのは、残念ながら事実である」。W・H・オーデンはいっている。そんな人間は読むだけで十分で、実際に身近にいたら閉口だろう。因みにこの言葉は、ワーグナーの伝記の書評に出てくるのである。

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くたびれる

疲れて草に臥すという意味で「草臥れる」という字を当てる。中野収教授の『若者文化術語集』によれば、最近の大学生は何かというと「くたびれた」と発するらしく、それは一種の挨拶なのだそうだ。「草に臥す」からは大分離れてしまったな、とおっさんは思う。「草臥て草鞋そゝぐや春の海」(御園)。

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下り鮎

九月の終わりに鮎は発育のピークに達し、それ以降は産卵のために川を下る。それが「下り鮎」で、盛りの頃より痩せて、色も錆びている。「落ちおちて鮎は木の葉となりにけり」(前田普羅)。とはいえ子持ちの鮎も旨いもので、「鮎みての後はくいたき心かな」(利正)。

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愚痴

「人間には二種類のタイプがある。自慢する人間と愚痴をこぼす人間の二種類だ」ラ・ロシュフーコーの言葉ではない。大学時代の友人がいったのだ。二浪して三流大学に入り、その上一年留年した彼は、無論愚痴をこぼすタイプだった。もっとも俺は絶対に自慢はしないという自慢はしていたが。

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くちづけ

「口の思惑」という言葉が広辞苑に載っている。接吻の意味だそうだ。「恋のかけひき」といった風な言葉が周辺に漂っていそうであり、硬派で、かつ臆病な私は腹黒い言葉だと思ってしまう。ただ最近の若いカップルが、街頭白昼でしばしば堂々と行うキスより風情があるのは明白だが。

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くちなし

図書館は、わが家から徒歩できっかり一時間の所にある。無論私は歩いてゆく。古い町の古い町並みの中を歩くのだ。歩いているうちに季節の移行も感じられるようになる。図書館の前にくちなしが植えてあることを知ったのは、先日のことだ。「口なしの花ものいはで暑哉」(也有)。

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口紅

母親の鏡台は、男の子にとっても魅力的な場所である。中でも口紅には関心を抱かされる。薬莢のような形。繰り出し式の機構。目に鮮やかな赤。宇佐美英治氏は赤鉛筆のことを「イデーの口紅」と呼ぶ。確かにこの言葉には、口紅をいじくった幼年時代の面影が潜んでいるように思われる。

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大阪の夏の暑さには閉口だが、それでも散歩に出てゆく。町中の小さな寺の、これも山門のいうのか、玄関が開け放ちにしてある。たたきはひっそりと日陰で、沓脱ぎ石の上にはちびた下駄がぽつんと置いてある。私の散歩用の靴のゴム底はアスファルトに焼かれているが、それを見る目はちょっと涼しい。

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クッキー

女友達はクッキーを焼いてくる。そういうものだった。下宿は四畳半のアパートで、テーブル代わりの電気ゴタツにそのクッキーを並べ、不揃いのカップにインスタント・コーヒーを入れた。今マフラー、編んでるからね、女友達はいうのだった。あの頃、幸福は実に安価なものだった。

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クーデター

三島が自衛隊に襲撃したと聞いた時、彼の小説など読んだこともないのに私は異様に興奮した。クーデターが起こったのだと思った。だが彼が自殺したと知った時、三島文学など知りもしないくせに、悲しい気持になった。今だに私は三島文学を知らない。だが彼の死は、今だに悲しい。

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クビ

「ある大会社の事務所。社員十数名が、熱心に何かやっているところへ、小生扮する社長が現れて、一同に向い『みんな!馘首だッ!』と叫ぶ、一同ヒックリ返る、それで幕」小生とは徳川夢声ことで、彼が仲間と結成した「ナヤマシ会」の公演の一幕である。大正末期から昭和初めの話。

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妻も息子もいない。夏休みにはいって、妻の里に帰ったのだ。暑いのにエアコンが故障した。全ての窓を開け放ち、冷蔵庫から缶ビールをもってきて、ソファに寝転がる。入道雲が高く聳えているのが全開の窓から見える。入道雲は「雲の峯」ともいう。「雲の峯昼寝の雲と申すなり」(岐東)。

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蜘蛛

尾崎一雄の『虫のいろいろ』に蜘蛛を幽閉する話がある。一度は瓶に、もう一度は戸の隙間に。二度とも蜘蛛は脱出する。数カ月の間、蜘蛛はじっと待ち、機会を逃さず素早く逃げ出したのだ。西洋では蜘蛛の巣は人間のはかなさを象徴するのだという。その巣の真ん中で蛛蛛はじっと待つ。

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暗い

『若者文化術語集』の著者は書く。「今までのようなみんなで一緒に仕事をする開放的な仕事場は『クラク』、個人用ブースのある閉鎖的な空間構造を『アカルイ』というそうである」。つまり集団主義は「暗い」のだ。この「暗い」が、いっそう否定的に「うざったい」になるのだろう。それで若者達は、一方では、気の毒にも自分でも理解していない、生得の孤独を囲っている。

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クライマックス

「人生は音楽ではない。最上のクライマックスで、巧い具合に終ってくれないのが人生というものである」。三島由紀夫の言葉だ。死の直前の彼の軍服姿を思い出す。拡声器を持たないので何をいっているのかわからず、その上「武士」と呼びかけた自衛官たちに野次り倒されたのだ。

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暗がり

谷崎潤一郎は、平安朝の恋愛は暗がりの恋愛だったろうという。昼なお薄暗い帳の奥は、夜には全くの闇だったろうといい、それで女性というのは目に見える形ではなく、香の匂いと長い髪、手探りの肌触りだったろうと想像するのだ。これは、フロイト的な幼児の性愛の世界に酷似しているようである。

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クラブ

クラブの利点は「窓際にすわって『外でやつらが雨に濡れているのを眺めて』楽しむことができる」(小池滋訳)所だ。英国紳士が書いた『英国紳士』という本にそう書いてある。こういう排他性は奇特だなと思う。何でもかでも受け容れるというのは、寛大というより、むしろ散漫ではなかろうか。

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グラマー

谷崎潤一郎は、顔の美醜よりも肉体の逞しい女性にひかれると『雪後庵夜話』に書いている。「ムッチリと肥えた赤みを帯びた肉体」を見ると「なかなか死んではならないと思う」などという。この随筆は、谷崎最晩年の作である。グラマーとは、母性のことではないかと、ふと思う。

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グリル

昨日から妻は息子を連れて里帰りだ。それで私はエアコンをつけたまま昼過ぎまで寝て、それから遅い昼食をとりに近所の「グリルわかば」にゆく。カニコロッケを食べビールを飲んだ。テレビは高校野球の地区予選をやっている。ほかに客はいない。それで、何かくつろいだ気持ちになってしまった。ビールをもう一杯注文することにする。

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クール

知的な合理主義者ロバート・マクナマラは、フォードの社長からケネディ政権の国防長官になった。彼は統計数字を駆使し(副大統領ジョンソンは、彼の丁寧に撫でつけた髪型を統計的と感嘆した)、ベトナム戦争を経営し破産した。その頃の戦争は、まだそれ程クールではなかったのだ。

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胡桃

「よき行いをすればするほど激しく殴打され、その子供らを奪われ、生皮をむかれあるは着物をはがれ、骨は折られ粉砕さるべし」(杉浦明平訳)。ダ・ヴィンチの手記にある謎々だ。答は「胡桃」。ウィスキーのアテにいいものだが、この「メメント・モリ」風のいいかたは、多少気色悪い。

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グルメ

W・H・オーデンは、「初老の放蕩者がセックスの話をする」みたいに食べ物について語る者がいると忌々しそうにいっている。その食通がかつて食べた凝った料理について述べているのを聞くと、カプセルを常食にしたくなるなどというのだ。オーデンというのは、ホモだけど硬派なのだ。

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クレオパトラ

「クレオパトラの鼻が低ければ、地上は変わっていただろう」パスカルは言った。鼻の低いクレオパトラはクレオパトラではなく、つまりクレオパトラはいないも同然だったからだ。恐らく本物の個性とはそういうもので、鼻があろうとなかろうと、現代の公衆には無縁のものである。

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グレシャムの法則

女主人はまだ盛んに喋っている。ボーヴォワールがどうたらといっている。馬鹿、このデコスケ、彼女にそういったのはもう一人の元野球部員で、彼は才能あるエースだった。この女、惚れっぽくってさ、そういったのは私だった。女性は憤慨している。男達は子供みたいに笑う。

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ぐれる

小倉千加子氏は「ヤンママ」について、つぎのように分析している(ちなみに「ヤンママ」とは、子持ちのヤンキーのことである)。「過激な反抗者と被虐的な保守主義者の二面性をヤンママは持つ」。だとすれば彼女らの保守主義は本物の保守主義だと、私は思う。

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グロ

徳川夢声たちがやっていた「ナヤマシ会」は、エロ・グロ・ナンセンスといわれた風潮に加担していたのだろう。「ナヤマシ会」は専らナンセンス方面を担当していたようだが。今年生誕百年の江戸川乱歩がデビューし、旺盛に書き始めたのも同じ頃だった。勿論乱歩はエロ・グロなのである。

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苦労

「私は、人生が私にとって愉快であるようにされている時にのみ、人生に堪えることができる」。私は、ユーモリスト、マックス・ビアボームのこのいいぶんに全面的に賛意を表する。もっとも他人の苦労についてはべつで、その人が自分をひけらかさない限りにおいて、苦労人とつきあうのは、たしかにためになる。

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グローバル

環境も人口もグローバルなら、為替や貿易もグローバルである。近所にある不眠空港、関西空港もグローバルで、もちろんわが身の置き所は地球しかないわけだが、だからといって何故こんな風に天体規模で暮らさなければならなくなってしまったのか。貿易黒字が少し減ったという。そして衛星は監視している。何か変だ。

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軍人

湾岸戦争の頃、『朝まで生テレビ』に現役のエリート自衛官が二人、出演したことがあった。彼らはハンサムで聡明で自信に満ちていた。軍人というのは、たしかにかっこいいなと私は思った。この戦後はずっと未知だった人々が、やがて表舞台に堂々と登場してきたら、女性の多くはきっと惚れるだろう、そう思って、不吉な気持ちになったことを覚えている。

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