人間にもしっぽがあったらどうだろう。感情表現は豊かになり、それでポーカーや熾烈な外交は不可能になったかもしれない。男は立派な尾を自慢したろうか。女は慎ましく隠したろうか。いずれ人間のことだ、きっとそれを猥褻目的に使ったに違いない。「尾頭の心もとなき海鼠かな」(去来)

△TOP

御足

広辞苑をパラパラやっていると、時々「女房詞(ことば)」と付してある個所に出会う。この場合の「女房」は、もちろんヨメはんではなくて、その昔宮中に仕えた女官のことである。彼女たちが用いた隠語が、つまり女房詞なのである。「御足」もその一つで、お金の意味で、今や超高速で世界を駆け巡るお金も、昔は徒歩程度に悠長に移動していたというわけなのだろう。

△TOP

老い

散歩の途中で見かけるのは、子供より老人の方が明らかに多い。それでこの国は既に高齢化社会に入っているのだな、と実感する。できれば美しく老いたいものだが、もう遅いかもしれない。例によってロシュフーコーはいっている。「精神の欠点は顔の欠点と同じで年をとるほどひどくなる」(二宮フサ訳)。

△TOP

追肴

「おいざかな」と読む。何か由緒ある酒肴のことかなと思ったら、そうではなくて「追加して出す酒のさかな」というそのまんまの意味だった。「追酒」という言葉もあって、こちらは「十分飲んだ後でさらに飲む酒」。この二つの言葉を並べると、たちまち何人かの友人の顔が浮かんでくる。

△TOP

おいそれ者

以前「浮助」という言葉を見つけたことがあった。元禄ごろの江戸語で、浮かれ男とか遊蕩児とかいう意味だった。今度は「おいそれ者」というのを見つけた。「深くも考えずに、おいそれと物事をする人。」と広辞苑は説明している。「浮助」とコンビにしてやりたいやつだ。

△TOP

オイルショック

わずか五年ばかりだが、勤め人だったことがある。第一次石油ショック後の不況時代に勤め始め、第二次ショックの翌年に辞めた。私が勤めているあいだ、ずっと不景気だった。その後、あのバブル期も変わらず、個人的には不景気は続いている。最近石油についての心配は余り聞かれない。いずれ深刻な第3次ショックが来ることだろう。

△TOP

応援

私が応援しているプロ野球チームは、阪神タイガースである。いつからかと聞かれると生まれつきだと答える。これは私の数少ない自負の一つである(実のところ、私が誇り高くそういうと、たいていの人間は気の毒そうな顔をするのだが)。ところでタイガースが日本一になった年に私は結婚した。これは私の数少ないのろけの一つである。

△TOP

嘔吐

嘔吐の苦しみには、幾らか自己嫌悪が混じっている。げろげろ吐きながら、体から自分がするりと抜け出して、その光景を馬鹿な奴だと眺めているといった風だ。例えば忘年会の季節などに早朝の繁華街を歩くと、不潔な吐瀉物が棄てられた悔恨といった感じに、あちらこちらに積もっている。

△TOP

往年

中学で野球部のエースだった男が酔っぱらっている。高校1年の時肩を壊した。息子をしこもうと思っていたが、三人とも女だった。長女は短大生だ。彼とは口も利かない。彼は少年野球の監督をしている。今日の大会で彼のチームは一回戦で敗れた。彼は酔って、昔の話をくどくどしている。

△TOP

往来

車が激しく行き来する高速道路も、まあ往来の一種なんだろうが、それは一瞬の擦過とでもいった具合で往来の感じは余りしない。モータリゼーションも多くの文化を生み出すだろうが、徒歩の往来で蓄積された文化もあるのだ。それは失ってもさほど惜しくないものばかりとは、必ずしも限らないだろう。

△TOP

大食い

吉田健一氏の食に関する文章は、生きる喜びといったものを感じさせる。たとえばこんなことを書いている。「我々は余り欲を出してはならないので、鰻丼の後で親子丼を食べてそれでもどことなくもの足りないから、鴨南蛮を一つ頼む程度の胃ならば、それで満足すべきである。」

△TOP

大蔵大臣

妻のことを人に話す場合に、ふざけて大蔵大臣と呼ぶ亭主がしばしばいる。子供の頃から大人たちの会話にそういう大蔵大臣がしょっちゅう出てきたので、大蔵大臣ときくとおばちゃんという連想ができてしまった。もっとも実際には、この主要閣僚に女性が就いたことは一度もないわけだが。

△TOP

大阪

大阪は廃れてゆく町だ。それでいいと個人的には思うが、やはり活力があったり、発展したりするほうが、断然いいと考えるのが一般らしい。それでオリンピックをやりたいと望んだり、巨大な遊園地がもうすぐできたりするうだ。もっと静かな老後を楽しめばいいのに、万博跡地にたたずむ薄汚れた太陽の塔が好きな私なんかは、そう思う。

△TOP

大掃除

夏の大掃除というのをやらなくなったのはいつ頃からか。町内の全ての家が、畳を全部上げて、家中を掃除するのだ。町の様相が一変し、畳を叩く音が威勢よく響いた。実のところ盛大に埃を立てただけで、ほとんど効果がなかっただろうが(おまけに畳の下にDDTなどを撒いていた)、だが季節は、たしかに新鮮になった気がしたのである。

△TOP

オートメ

1957年にはやったコトバだそうである。高度経済成長期前夜だ。実際の導入より言葉が先に普及したというわけだろう。長島茂雄が新人王を取り、皇太子が婚約し、東京タワーが完成した年である。「ション」を端折ってるとこなど、何だか元気がよかった。

△TOP

大晦日

大晦日の私の仕事は網戸を洗うこと、それに障子を張り替えることだ。それをすませていい気持になって、私は古本屋に出かける。正月に読む本を買うためだ。毎年十冊以上買いこむが、結局読むことはない。こうして明けた新年もいつか古びてゆく。「大三十日(おおつごもり)定めなき世の定め哉」(西鶴)

△TOP

オールド・ファッション

河原に散歩に出たら、少年野球が練習していた。監督は中学の同級生だ。野球部のエースだった。私に気づくと、缶ビールを二本持ち土手を駆け上がってきた。一本くれて、彼は話し出す。あの若い母親、ちょっといいだろ。相変わらずだ、相変わらず女の話ばっかりしている。

△TOP

おかちめんこ

「このおかちめんこ!」「何さ、スットコドッコイ!」お互い憎からず思いつつ、そんな台詞を応酬し、最後には結ばれるという素朴な恋愛映画が昔はよくあった。江利チエミとか美空ひばりが、そのおかちめんこの役だった。ブスというミもフタもないいい方よりも、愛嬌がある。

△TOP

おかま

私は「おかま」という人に一度だけ会ったことかある。十数年も前になるが、親しい編集者にそういう人のいる飲み屋に連れてって貰ったのだ。その店にはおかまは一人しかいなくて、しかも相当年を食っているおかまだった。そして彼女は私に向かって「でぶは嫌いよ」などといったのだった。

△TOP

置手紙

せっぱつまったりロマンチックだったりする置手紙を受け取ったことがない。「永遠にさようなら、どうか探さないで」といった類の。せっぱつまらない、ロマンチックならざる私は、昼過ぎに起きてきて食卓の上の妻の置手紙をあくびしながら読む。「冷蔵庫に肉じゃがあります」。

△TOP

屋上

小学校の鉄筋校舎は戦前からの古い建物で、その屋上に上がるのは不安で甘美な経験だった。西は臨海工業地帯、北は寺町で、ここからだと墓地の様子までよく見える。一あたり景色を見回した後、屋上に上がった小学生なら誰でも考えることを考えるわけである。ここから飛び降りたらどうなるだろう。悩みなきぼんやりとした子にもは危うい時間は、たしかにあると思う

△TOP

臆病

「自分がどこまで怖がりかを常によく知っている臆病者はめったにない」ラ・ロシュフーコーはいっている。臆病者に見られるのが恐ろしいというので、向こう見ずなことをしてしまう臆病者もいるのである。臆病の奥は深い、と一人の臆病者としてつくづく思う。

△TOP

おこた

最近は知らないが、筆者の時代の下宿生にとってこれ程重宝な道具はなかった。食卓にも文机にも麻雀台にもなり、そのまま眠れば、つまり寝室でもあるわけだった。季節を問わず狭い部屋にはコタツが出ており、ごく稀には恋の花咲くこともある。「思ふ人の側へ割込む炬燵かな」(一茶)

△TOP

幼な子

「をさな子やひとり飯くう秋の暮」。子供と動物を扱った映画はヒットするといわれるが、曠野集の尚白のこの泣かせる句も、そういった意味でやや卑怯だ。ところで塾通いする最近の「をさな子」もしばしば一人で飯を食っているようで、あるいは皮肉な現代性があるといえるかもしれない。

△TOP

叔父さん

叔父さんの中には、変わり者が必ず一人はいる。蝶の収集家だったり発明家だったり女優とかけおちしたりする叔父さんだ。どのタイプの変人にしろ生活力に乏しく、親戚の大人連の評判は悪い。子供達は尊敬はしないものの、父に似ないこの謎の叔父さんに好奇心をかきたてられる。

△TOP

お湿り

女房詞で「ほどよく雨が降ること。」と広辞苑は説明している。一見優しそうな言い方だが「ほどよく」という所が、多少身勝手だとも言えなくもない。そう考えると、もったいぶった言い方だと思えてくる。ちょっと意地悪な感じもする。「春霖や人それぞれに棲家もち」(大橋はじめ)

△TOP

お酌

酌というのは、するのもされるのも、どうも苦手だ。ことに相手が女性だとかなり困惑する。しかも相手が美貌だったりすると、みっともないことに杯持つ手が奮えることもある。やはり河原に座り込んで、古い友人と缶ビールを呑んでいるのが一番よい。美人にお酌された話でもしながら。

△TOP

おしゃぶり

内田百けんの推奨する節煙法は、煙草を口にくわえたまま長く火をつけないというものだった。口にくわえた時に既に喫煙行動は始まっているので、火をつけなくとも幾らかは煙草を吸っているのと同じだと百鬼園先生はいうのだ。確かに煙草は、煙の出るおしゃぶりといった所がある。

△TOP

おしゃれ

スタンダール流のおしゃれ術は、外出するまでは、服装に細心の注意を払うこと、但し一端外に出たら、服装のことなどこれっぽっちも考えないということである。私はしばしばこの逆をやる。いっそ内でも外でも、服装のことなんかちっとも考えないというふうになれればよいのだが。

△TOP

オジン

オバンと対で1979年にはやった言葉。第2次石油ショックの年で、このとき省エネルックなどという、まことにオジン臭い服が現われたりもした。ギャルという言葉も同じ年にはやった。当時のギャルは、もちろん今では隠れもなきオバンなわけである。

△TOP

お歳暮

読んで字の通り年の暮れのことが、年末の贈答を意味するようになった。忘年会のことも歳暮といったらしい。所で椀飯振舞は新年の季語である。年末から新年にかけてのこうした習俗は、文化人類学的な贈与と蕩尽に関連しているのだろうか。「物少し状ながながと歳暮かな」(島田雅山)

△TOP

おたふく風邪

子供の頃、病気になるのは辛くはあるが反面ちょっとかっこいいのであった。熱と苦痛に耐えているのは我ながら健気で、いわば英雄的な気持になってくる。やさしい母親、葛湯の奇妙に頼りない舌触り。かくして見事に頬を膨れ上がらせた病気の英雄は、静かに寝床に横たわる。

△TOP

おちょぼ口

以前「うけぐち」を広辞苑で調べたら、その愛嬌ある口もとが目に浮かぶような説明だったので、今度は「おちょぼ口」を調べてみた。曰く「小さくつぼんだ口つき。少女らしく気取ってすぼめた口つき。おつぼぐち。」…‥…‥。少々胸のときめく思いがする。

△TOP

おでん

関西では「関東煮(かんとだき)」という、というのはもう昔の話で、今ではおでんが一般的である。年配の人なら、依然としてそういうのだろうが。私はちくわのよく汁のしみたのと、厚あげが好きで、厚あげは反対に浅いほうがいい。「おでん屋の他に灯なき路地通る」(戸塚芳亭)

△TOP

男座敷

女っ気のない酒席のこと。つまり「女のいない男たち」がぐちぐちいいながら酒を飲んでいるというわけで、これはヘミングウェイ流のハードボイルドな酒ののみ方なのである。男座敷こそ男の安らぎの場所で、フェミニストに「男はみんな女が嫌い」といわれるのは、ある意味でもっともだ。

△TOP

おとな

「お前はいつまでたっても生意気なガキだ」学生時代、友人につくづく言われた。文学だか人生だかの議論をしていて、私が才気煥発に問題を処理していた時のことだ。それ以来私は才気煥発なふりをするのをよして、どうすればおとなになれるのかということばかり考えている。一生無理だな。

△TOP

オナニー

稲垣足穂はいった。「onanismeは夢を創作し、人はこの夢の世界で自らナルシスに化する。オナニストは想像の世界にのみ与えられる″人間の自由″を謳歌する。」オナニズムは、確かに現代の重要な文化の一つだろう。それを体現しているのは、つまり「おたく」といわれる人々である。

△TOP

おにぎり

散歩が遠出になる場合があり、そんな時にはリュックにおにぎりを入れてゆく。妻はおにぎりを非常に無細工ににぎる。形や大きさが不揃いで実を入れるのを忘れたりするが、外で食えば景色もおかずで、まあいける。私はおかか入りが一番好きで、因みにおかかというのは女房詞である。

△TOP

叔母さん

叔母さんの仲に変人は一人もいないが、世話好きなら、少なくとも三人はいることだろう。彼女らは法事と結婚式を取りしきり、旅行の幹事をし、病院に見舞いにゆき、見合い写真を押しつける。しばしば彼女らには閉口させられるが、この叔母さんたちがいなければ、今日日のことだ、一族は、たちまち離散してしまうだろうと思える。

△TOP

お人好し

善良な人間はあんなにのろまでなければ、とサマセット・モームはいっている。確かにお人好しはその属性として、ちょっと鈍いところがあるようだ。だがこういうふうにもいえる。「才気煥発な人間は、あんなにイヤミでなければ」。友人にしたいのは、もちろんお人好しのほうである。

△TOP

オプティミスト

自由主義経済を信奉する人は、果たして楽天主義者なのか、悲観主義者なのか。彼らの人間観は悲観主義的だ。人は自分の利益のことしか考えない、と彼らは考えるのだ。だがその世界観はいわば楽天的だ。そんな人間の集まった世界は、結局はうまくゆくと考えているからである。

△TOP

オランウータン

動物園でオランウータンの檻の前に立ち、その上目遣いの悲しげな眼と合うと、子供の頃『汚れなき悪戯』という映画を見たときみたいな気持になる。このヒトの近縁種は、自分たちが滅びかけているのを知っているのではないか、とありえないことを、ふと想像してしまう。

△TOP

俺様

「自分のことを尊大にいう語」と広辞苑は書く。尊大な人間には何人か会ったが、「俺様」という人は、残念ながら一人もいなかった。『ドラえもん』のガキ大将がそういっていただろうか。要するに大人になると、ガキ大将のような素直な尊大さは示せなくなるということかもしれない。

△TOP

愚か

又してもラ・ロシュフーコーはいっている。「頭のいい馬鹿ほどはた迷惑な馬鹿はいない。」これは頭の良さが、持ち前の愚かさにいっそう磨きをかけるからだと思われる。戦後教育は、こうした「頭のいい馬鹿」を生産することに大いに成功したのではないかと、つまり愚考する。

△TOP

温泉

「分別の錠前をあけて、執着の栓張(しんばり)を外す。どうともせよと、湯泉(ゆ)のなかで、湯泉と同化してしまう。流れるものほど生きるに苦はいらぬ」。『草枕』のなかで温泉に浸かりながら、漱石は気持良さそうに、そういっている。たしかに人生が温泉であれば…‥…‥、きっと湯当りしたろうな。

△TOP

フランスの諺はいっている。「女は必要悪である」と。うまいことをいうなあ、とついにやにやしてしまうのは、私が女性蔑視論者だからだろうか。そんなことはないと思うのだが。というのは私は、男のほうは、もちろん自分も含めてあんまり必要じゃないなと考えているからだ。

△TOP

Copyright(C) AsagahotoHatsuyuki sha,All rights reserved.
Powered by Movable Type4.27-ja