かつて私は、『貧困通信』という手書きコピー誌を出していた。関東平野の片隅で一人暮らしを始めたのをきっかけに、近況を友人知人に報告するのが目的だった。主たる内容は、家計簿、カロリー計算、そして日々の雑感などだ。

 あれから23年近くが過ぎた。23年という年数は、オリンピックを6回やって、なお3年ばかりお釣りがくる。長いと云えば長い。しかし、大半のものごとは、そんなに変わっていないようにも見える。私は依然として同じ部屋で暮らしているし、天井の裸電球も、家賃も当時のままだ。多少の増減は経験したものの、年収もあの頃と大差ない。

 ただ、室内は変貌した。恐ろしいほどに本や雑誌、家財道具が増殖してしまった。当時、キャンプ道具一式を持ち込み、ガランとした部屋の中にテントを立て、寝袋で寝起きし、コッヘルとキャンピングガスで煮炊きしていたのがウソのようだ。現在、テントだけでも4張りあるが、最小の一人用テントを広げるスペースすらない。ひとたび探し物をすると、室内はケモノ道以外の移動は不可能になる。

 不本意ながらテレビも置いた。私には神戸人の血が半分流れており、親戚も阪神間に集中している。1995年の大震災のおり、ラジオでは状況が掴めず、朝10時半の開店を待って新宿の安売りショップに走った。小型機種は高いので、泣く泣く14インチを買って抱えて帰ろうとしたら、重くて50mも歩けない。やむなくタクシーを使い、結局、近所の電気屋で買うより遥かに高いものについた。おまけに、スイッチを入れても、どのチャンネルも何一つ写らない。この辺は新宿のビル街の蔭に入り、電波の死角になっていることを後から知ったが、遅かった


 結果的に最後号となった『貧通』を作っている時、ジョン・レノンが撃たれて死んだ。あの日の午後3時。つけっ放しのNHK-FMのニュースが、時報に続けて『元ビートルズのジョン・レノンさんが』と切り出した瞬間、「悪いニュースに違いない」とピンときた。当時、NHKは彼に対して極端に冷淡で、もっぱらイメージダウンになるニュースばかりを伝えていたからだ。だから、アナウンサーの『‥撃たれ』という言葉で、最悪の結末を迎えたことを直感した。駅のキオスクへ早版の夕刊を探しに出かけたが、まだ新聞スタンドは空だった。世界が暗転したというのに、駅前のアーケード街はクリスマスの飾り付けの下をカップルらが行き交い、華やいだ空気が満ちていた。それは、実に非現実的な光景だった。

 そのナマナマしい記憶のせいか、『80年12月』は、ついこの前のことのようだ。流れ去ったにしても、ただ澱んでいたにしても、20年という年月の実感が少しも湧いてはこない。そんな訳で、今ここに再び、当時と同じ気分で『ビンボー人の買い物日記』という形の近況報告を再開しようと思う

実験貧困主義貧民共和国
新通信