雨の神様の怒り

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数時間前、遠雷が聞こえてお湿りのような雨が降ったと書いた。その6時間後の今、轟く雷の音と稲光が凄まじい。雨は瓦を叩き、軒から流れ落ちる雨水は滝のごとしとは言わないが、十分な水量が予測できる。


県内には大雨注意報が出されたとテレビの画面にテロップが出ている。

これを見た時、私は天罰を受けたと思った。先の書き込みで私は雨の神様はまるで力がない、形式的な神であるようなことを言っていた。それを嘲笑うかのように、滝のような雨を降らせているのだ。

表へ出てみると、家の前の道路には小さな流れができている。マンホールに溜まった水には雨が無数のミルククラウンを作っているのである。

ああごめんなさい、雨の神様、悪口言ってごめんなさい。

そう言いながら、マンホールの無数のミルククラウンを写真に収めようとしたのだが、スマホでは再現できなかった。

遠雷と打ち水

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暑さを避けて家の中を暗くして(日差しや熱気が入らないようにカーテンをしめている)ぼんやりしている時遠くの方で雷のような音。
この季節の夜ならばどこかで花火でも打ち上がっているのだろうと想像するのだが、暑さが盛りの午後2時である。
時間をおいて聞こえてくる。窓を開けて空を見上げる。雲は広がっているが強い日差しは相変わらずだ。北の方の雲が厚く色が濃い。あの辺りで雷が発生しているのだろうか。

数分おきに音はする。夕立ならばさーっと風が吹いてきて空がにわかに暗くなってザーッと降り出すのが普通だが、そういう気配はない。

30分ほど続いただろうか、少しづつ空が暗くなってきている。
気がつくと、地面が濡れていた。

打ち水の練習か。外に出るともう日差しが戻っていて微妙に濡れた地面から蒸気が上がって湿度はぐんと上がった。湿気で気持ち悪い不快感。

打ち水で涼を呼ぶなんて、誰かの幻想だろう。

骨董市へ行く

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妻が骨董に興味を持って久しい。

骨董的なものに関しては私の方が昔から興味があったし、井伏鱒二の「珍品堂主人」を読んでこんな風に趣味に生きられたらいいのになと若い頃から思っていたのである。
ところが私の骨董趣味というのは単なる薄っぺらい懐古趣味であることが自分でもわかっていつの間にか骨董的なものに興味を失ってしまった。

ところが妻は骨董的な趣味をどんどん追求して行ったのである。
家の調度は古い和箪笥になり食卓はアンティーク風なテーブルに壁には中世の宗教画がかかるようになっていた。

今やネットオークションで売り買いして趣味と実益を追求している。

近くの展示場で骨董市が開かれるので私は妻をそこまで送る運転手となり同行した。
体育館より少し広い会場に様々な骨董品、例えば陶器、絵画、掛け軸、古布、古道具などを売るブースが並んでいる。

骨董市と他のなんとか展示会とかなんとかバザールなどとの違いは売り手の熱心さの差だな。骨董市のブースの主人は売る気がない。というより客から声を掛けなければ絶対応対しない。

売主のいらないものを無理やり捌こうとしているような「如何ですか?」「いらっしゃませ?」「ただいまタイムセールです。今がチャンスです」などという、うるさくて定型的な声は全くない。

商品というのは、客の気持ちが動いて購入されるものなのだ。押し付けて売りつけるようなものではないのだよな。

骨董品を選ぶというのは自分の美意識に沿ったものかどうかを勘案しながら見定めていく作業なのだろうな。そういう客の心の動きに店主はじっと寄り添うのだ、きっと。

私は骨董品を見るのは楽しいんだけれどそういう趣味はないとしか言えない。祭の夜店の商品を眺めて楽しむタイプなのだ。


トイザらス

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久しぶりの友人と会うために出かけた。あるビルの5階の事務所で会うのだが予定まで30分あった。同じビルの2階にあるトイザらスへ行って見た。

最近の子供たちはどんなおもちゃで遊んでいるのだろう、孫に買う時が来るかもしれない、じじい一人がおもちゃ売り場をうろついても怪しまれないだろう。「ああ、孫に何かおもちゃを買ってやるつもりなんだ」と思われるに違いない。

店の中に入って見たもののもう一つ面白みにかけている。じじいがおもちゃ屋ではしゃいでいたらそりゃおかしいだろうが、私が思うに小さな子供でもワクワクドキドキするような感じではないなあ。それぞれの商品は彩りは華やかでピカピカ光っている。けれどもパッケージされ整然と棚に並べられたおもちゃは単なる商品にしか見えないな。

スーパーで牛乳や卵を買うのとおんなじなんだな。牛乳や卵を買ってもそんなに嬉しくないのと同じようにトイザらスの棚から一つ取り上げてカゴに入れてレジへ持っていく流れだから。

おもちゃ屋という業態が衰勢なのは少子化だけが理由ではないな。


ブログを忘れていた

そういえばこういうブログを作っていたんだ。そういうことを忘れていた。本当に忘れていたわけではなくてブログに何か書くことを忘れていたというのが正しい言い方。

facebookとかTwitterとか実は両方やってるけれどもほとんど書き込みはしない。リードオンリーなんだ。彼らの世界に向かって発信する情報は持ち合わせてないし、発信する必要はないもんね。あんなネトウヨがうようよするメディアなんてさ、気持ち悪いよ。

ここは考えてみたら自分の世界なんだよね、自分の世界でありながら誰かの目に触れることを意識しているんだ。またここで色々書いていくかな、などと暑い夜にボーッと考えている。



相良で祭りに遭遇

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相良町へ行ってきた。相良町は合併によって牧之原市の一部になっているけれども歴史的には牧之原市などよりよほど由緒ある地名である。


相良は賄賂政治で有名な田沼意次が所領したところでもある。田沼意次はかつては権勢を悪用して私腹を肥やした人物とされていたが、革新的な経済政策を行なった人物という見方もされるようになっている。

地元相良では相良藩内の街道や港などのインフラ整備とか地場産業の育成などを行い藩内を安定させた名領主であったと伝えられている。

人間の評価というものは時代や場所によって変わるものなのだ。


相良には他にも面白い所がある。それは「塩の道」の起点になっていることである。「塩の道」とは簡単に言えば塩を運んだ道ということなのだが、はるか古代から続く海と山を結ぶ交易の道であり、その起点が相良あたりである。

ここから遠州の中央部を北上して長野県の塩尻まで塩を運ぶ道なのである。


そういう由緒ある相良を訪ねたわけだが、ちょうど秋祭りの時期で市内の様々なところで子供達が引く山車に遭遇した。どこの神社の祭礼かはわからなかったけれども船を模した山車に女の子の囃子方が数人乗り込み合奏していた。

観光協会のホームページを見ると少し離れた場所にある飯津佐和之神社の御船行事のことを紹介している。この祭りも船をモチーフにした祭りのようで港町として発展してきた相良らしい祭りである。


塩の道、相良港の船、交易で栄えた相良らしい祭りの形態に農村の収穫祭とは異なるものを感じた。


土曜日の酒の反省

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酒を飲むということに弱くなった。

酒に強い弱いという尺度はその酒量の程度によるばかりではない。


同じ酒量を飲んでいたとしてもその酩酊具合で強い弱いを判別されることもある。酩酊でも最後まで踊ったり歌ったりしていれば酒に強いという評価になり脱力して座り込めば弱いという評価になる。


若い頃はたくさん飲んでしかも冷静(な様子)でいられのが格好いい飲み方だと思っていた。しかし酔えばそういう理性的と思っているハードルはあっという間に下がって、単なる酔っ払い野郎になっていることが大半なのだった。


ずっと酒好きで飲み会に誘われれば断ったことがない、というような過去だったような気がするのだけれど、たくさん飲んだ翌日の胃のむかつきと午前中の頭の中に霞がかかっている状況というのはなるべく避けたいと思いつつ注がれた酒をあおるのであった。注がれた酒は飲まなければならないと思っていた。


私の最近の交友関係は酒で広がってる。それは私が酒を飲める場にいる人々と選択的に交遊しているということの証でもある。ただ、無分別に飲んでいるわけではない、小原庄助ではないけれど酒を飲むにも費用がかかルわけで、その原資は限られている、だからむやみに飲む機会が増えているわけではない。経済の事情は私の肝臓の健康にいい影響を与えている。


ということで、酒に強い弱いを酒量で判定するならば私は酒に弱くなった。昔は一週間に一度バカ飲みした。酒に強かったような記憶がある。

今は、少しづつだけど毎日飲んでるからな。そういうのはどうだろ。

キーボード練習始めました

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keyboard_air mac.jpg秋の夜長の無聊を慰めるために楽器の練習を始めることにした。


多趣味で知られる和歌山の友人K氏は音楽関係ではハーモニカを得意としている。懐かしい歌謡曲をハーモニカで吹くと老人ホームの年寄りたちは大喜びするそうだ。そして私にもハーモニカを習えと盛んに勧める。何か楽器をやってみたいと思ってはいるのだがハーモニカは今ひとつ手にとる気になれないのだ。


そもそも、楽器の練習は音が気になる、特に習い始めの下手くそな練習音は雑音でしかない。そんなことで色々思い悩んでいたのだが、その辺のジレンマを解決する方法を思いついた。それはコンピュータでシンセサイザーのように音を出し、ヘッドホンでモニターすれば下手くそな音楽が外へ漏れる気遣いは全くない、ということである。


ということで押入れの奥にしまい込んであったMIDIキーボードとノートパソコンをつないで見ると簡単に音が出た。

キーボードは20年ほど前に息子に買ってやったものだしノートパソコンはずいぶん古いバージョンだが音を出すだけなら何の問題もないことがわかった。何でもっと早く気づかなかったのだろう。


さっそく無料のピアノ独習ソフトを試してみる。




そば撒き

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佐久間そば作り.jpgそば作り体験のコースに参加している。今年で4年目になる。

今日は畑にそばを撒いて耕運機で土を耕してそばの実が土か入るようにしてきた。毎年秋のこの時期にそばを撒くのだが手順も慣れてきている。


そばはおよそ60日で収穫できるので、このそば撒きから始まって、草取り、そばの花の鑑賞、刈り取りとはさ掛け、脱穀、そばを自分で打って食べる。そういう農業体験、そば試食体験をこれから年末まで月に2回ほど行っていく。


このイベントは佐久間という山村の住民と浜松の街中の住民との交流が目的。佐久間側からいえば人口流出と高齢化が激しくてどんどん寂れていく地区に人を呼び込んで活性化を図ろうという目的もある。


休耕地を利用してソバ畑にしている。我々はその一部のおよそ20メートル四方の広さの畑を任されてそばを作るのである。実際はこのイベントを主催している地元のNPOの人たちが土起こしとか雑草取りなどの大変な下仕事をしていてくれて、我々はイベント当日に現場へ行ってそば撒きとか刈り取りの真似事をしているだけといえば身もふたもない。


そこはまあ、交流が大きな目的の一つでもあるので、お客様扱いされているとはいえ、一緒に汗を流し作業することが大事なのである。

しかし何と言っても各イベントの毎回の楽しみは地元NPOのおばちゃんが手作りでもてなしてくれる昼食である。


我々が畑でそばを撒いている間に、畑横の広場の一角で昼食用のカレーが大鍋で作られて行く。

畑仕事が終わるとそこで昼食。カレー皿を手に雑談の花がさく。ジャガイモ、ニンジンなどのカレーの具は多分この先の畑で採れたものだろう。付け合わせの漬物はおばちゃん達の家で漬けたものだ。

このカレーと漬物を食べるだけでもイベントに参加した意義があるのだ。

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心のバランス

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今日は友人の娘さんの結婚披露宴に招かれた。友人夫妻とは長い付き合いで彼らの娘さんとも何度も一緒に過ごした事がある。それはずいぶん昔の話で彼女が幼稚園に通うような頃の話だ。その娘が結婚してその夫を披露してくれる、おお花嫁のなんとかわいらしい事か。

そういうめでたい日の同じ時間にタイガースはいいゲームをしながら継投の失敗で満塁ホームランを浴びて負けてしまった。めでたい席の同じ時間にタイガースは負けたのだった。なんと悲しい事か。

ところが、同じ時間帯に行われていた将棋の藤井聡太四段が勝って連勝記録を27に伸ばした事を知った。将棋はほとんど指さないのだが中学生棋士には注目していたのだ。なんとすごい事か。

今日はいい事が「2」で良くない事が「1」なのでいい日だったに違いないのだ。結婚披露宴.jpg

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