2009年1月アーカイブ

女好き

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普通に次の会議の流れなどを打ち合わせていたのである、いきなり、私の隣の男は女性の立ち場から意見を言う人がいないのはよくないと言うのである。
しょうがないな、この女好き、というのは一時代前の反応で、昨今は女性の意見をどんどん取り入れましょうである。いや、決して女性を貶める文脈ではない。良い訳はこうである。会議の参加者が参加者の時間の都合でたまたま男性に偏ったのだ。
しかし彼の指摘は分からないでもない。会議の決定事項に女性の意見がどの程度反映されているか問われる時代なのだから。
でもなあ、彼の場合は単なる女好きと衆目が一致するのはなぜだろう。男の私が見ても、そんなにいい男でもない。自覚しろよといつも言うのだがね。

この時期の野外調査

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海岸に近い吹きさらしの場所の野外調査である。その辺りは風が強くて有名な所である。寒さにはめっきり弱くなっている私としては防寒対策を入念に行って会場へ赴いた。
しかし、今日はこれまでと打って変わった穏やかな日だった。この辺りは多少気温が下がっても、風がなくて日差しがあれば結構暖かいのである。
そんな日に、十分すぎる防寒対策を施して行ったものだから、現場を歩き回ると防寒着の内側に熱がこもって暑くなってきた。うっすらと汗をかくのさえ感じる。中に着込んでいるシャツを脱げばちょうどいいくらいなのだろう。上に着ているオーバーコートを脱ぐと寒いに違いない。こんな、野外の現場で着替える訳にも行かない。そんなことばかり気になって、調査は上の空であった。

他人の評価

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風邪だというのに出社してくる奴がいる。まったく菌をばらまくだけで迷惑な話である。誰も君のことを仕事熱心なやつだと評価しないよ、とはっきり言うべきだろうか。

交通事故

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仕事からの帰り道である、道路から大きな音が聞こえた。何か金属でできたものを踏みつぶすような音である。今渡ってきた信号のある横断歩道のあたりから聞こえるのだが、何も変わった様子がうかがえない。
薄暗い道路だからはっきり見えないのだが、車は普通に動いているのである。
高校生が自転車を舗道に置いて車道の方に出て行くのが見える。彼が向かう先を見るとオートバイが倒れているのである。
何かの拍子でオートバイが倒れたか、自動車と衝突してた倒れたかしたのだろう。高校生が助けに行っているのか、捨てては置けないと思い、戻ってみる。
なんとオートバイの下敷きになって、ライダーが倒れている。そのオートバイを高校生が持ち上げてライダーを助けようとしているのである。大型のオートバイで随分重そうである。とりあえず、高校生と力を合わせてオートバイを持ち上げ、ライダーをオートバイの下から引き出した。
高校生は大丈夫ですかと、盛んにライダーに声をかけている。ライダーはうずくまっているが、自分で上半身を起こそうとしている。怪我は大丈夫かと聞くと初めて大丈夫と答えてきた。
その間も、高校生はごめんなさい大丈夫ですか、を繰り返している。
状況はよくわからないが、今は道路の真ん中で、車両の交通は激しい。その道路の一車線を塞ぐようにオートバイが倒れているのである。高校生は大丈夫ですかを繰り返しライダーは、やっと自分の置かれた状況に気付いたかのように周りを見回し、そして腕や足をさすっている。
私はもう一度、どこか怪我しているかを聞いた。大丈夫だと思う、と答えたので、じゃあまずオートバイを移動しようと提案する。ライダーはうなずいて、オートバイをしっかり立たせた。クラッチをニュートラルに入れて、動けるようにしてから舗道へ押していった。3人で押した。一人ではとても動かせない大型バイクである。舗道へバイクを立たせるとライダーはへたり込んでしまった。
高校生は自分の自転車とぶつかりそうになって、オートバイが避けてくれて転んだのだと言ってる。そうか高校生の自転車を避けようとしたのが原因でオートバイは転んだのだ。高校生のせいで、こうなったらしいので高校生は責任を感じて盛んに声をかけていたのか、とあらかたの状況を把握した。
ライダーはヘルメットをとった。30代後半のサラリーマン風の男だった。
高校生はずっと、すみませんを繰り返している。
さて、私はどうしよう。こうなった原因は見方によっていろいろあるようだが、私の預かり知らぬところで起きたことである。とやかく言う立ち場ではないな。ライダーの男も命に関わるような怪我をしている風でもない。あちこちいたそうにしているが。救急車を呼ぼうかと提案したが、それはいいと言っている。
じゃあ、もう私の役割は終わった筈である。
二人はこの出来事をどう解決するのだろう。気になるところだが、それは私の問題ではない。高校生とライダーと大型オートバイを舗道に残して私はそこを離れた。

眠い午後

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二時頃非常に眠かった。隣の男は饒舌で落語家のようにしゃべり続ける男なのだが、その男の話が子守唄のように聞こえたのである。目は開いているのだが、焦点は定まっていないのがわかる。他の人から見れば、行ってしまった人の目つきなのだと思う。目をつむる訳にもいかんし、考え事をている振りをして窓の外のずっと遠くを視線が動くしかない。

大阪女子マラソン

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大阪女子マラソンの中継を見てしまった。2時間以上だらだらと見続けたことで少々自分を責めている。心の奥底に、マラソン見るんだったら軽いジョギングでもしてそのメタボな身体を絞れと、いう声がずっとある。身体を鍛えるというのは自虐的快楽だが、身体を絞るというには苦痛に違いない。だから私はそうしないのだと、強がってみるのだ。マラソンを見るのはそういう、苦痛の先にあるエンドルフィン分泌の恐いもの見たさがあるのだ。あー何言ってるか分からんが。
先日、万歩計を手に入れて、今日は体重計を買った。焼き肉パーティをする約束の友人は、冬の運動不足によるメタボ対策のために焼き肉パーティはしない方がいいと言われて以来、運動と食欲については気持ちのササクレとなっているのである。女子マラソンのコースは鶴橋のあたりも走るのだが、あの辺りの焼き肉のにおいをランナーは嗅ぐのであろうか。

鉛筆の飾り

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子ども相手のくじ引きが余ったので引かせてくれた。鉛筆三本セットが当たった。ピンク色が主体の鉛筆で、何かの動物を思わせるキャラクターが小さく印刷されている。鉛筆の尻に当たる部分には黄色いプラスチックの丸い形をした帽子のような物がついていて、それは一体何なのだろうとずっと考えているのだが分からない。中国製だと思われるから、きっと中国では普通の意匠なのだろう。

トイレの秘密

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二時過ぎだった。風もなく日差しが温かい午後だ。この時間は電話も少なく静かである。少し眠気も感じるころだ。気分転換にトイレへ行った。トイレには誰もいない。私のオフィスのトイレは、窓がない設計なので電気を付けないと非常に暗い。トイレだからといって常に暗くしている訳ではないので、多少の明かりは点いている。用を足すには十分な明かりだ。
便器に向かっていると、何やら人の声が聞こえる、ささやくような男の声だ。トイレのドアの向こうの事務スペースからの声ではない。背中の方から聞こえてくるのである。私の背中の向こうには何があるのか、大便用の個室スペースが2つある。トイレに入ってきた時は気がつかなかったのだが、どうやら2つあるスペースのうちの1つの個室スペースを誰か使っているようだ。
しかも、何やらひそひそと会話しているのだ。おい、やめてくれよ昼間から会社のトイレに隠れて何してるんだ。冬なのに汗臭く汚らしい卑猥さを感じた。どんな馬鹿なんだ、見極めてやろうかそれとも俺の存在に気がついていないとするなら、咳払いでもして水洗の水を倍以上流して、気づかせてやろうか、その破廉恥な行為を、ともう少し耳を澄ますと、個室の中の声が「はい、分かりました。どうかよろしくお願いします。では改めてご連絡させていただきます」と営業口調になっているのに気付いた。
なんだ、個室の中の奴は糞しながら電話していたのだ。
これはこれで信じられないような行為ではある。糞しながら営業電話か。こっちから賭けたとしたら、たいした度胸だ、糞度胸だ。糞してる時にかかってきたとしたら、出るか?出るのは糞だけにしてほしい。

ジレンマの男

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彼のやろうとしていることは、彼が関与している組織のトップの首をすげ替えである。しかし一年経ってもそれは実現しない。私が、さっさと引導を渡して、辞めてもらえばいいと言うと、そうはいかないと反論する。なぜなら、その組織のために尽くしてきた人だから無碍に扱うわけにはいかないのだと。
じゃあ、ずっといてもらうように工作すればいいのだろうと言うとそれは困るのである。辞めてもらわねばならない。
彼が考える理想の形は、そのトップが誰からも強制されることなく自らの意志で辞めることなのである。
じゃあ、そういう風に仕向けたらいいだろう。しかしそれだと自らの意志では無くなるから拙いらしい。そういうジレンマに陥ってもはや一年経つのである。

やってみろよ

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理論と実践の違いを説明するには結果で示すしかないのである。
本田宗一郎は「やってみもせんで、何が分かる」と遠州弁でいうのが癖だったらしい。確かにやらなきゃ分からないが、やらなくてもだめだと経験的に知っていることもある。
そうして、長く生きていると失敗事例の経験値が高くなって、こういうやり方ではだめだと判断することが多くなるのは仕方がないことなのだ。
失敗経験の積み重ねは理論化できない訳ではないだろうが、そんなことに労力を使うことよりも、まあやってみてうまく行けば儲け物という感じの方が現実的なんだと思う。

会議のための会議

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不思議な会議だった。グループウェアによる会議招集通知があって、そこでは二時間の予定になっていた。集められたのは約30人。それぞれのセクションの責任者ということになっているようだが、いくつかの席は空いたままで、代理出席も結構多いようだ。時間通りに司会者が会議のはじまりを告げる。まだ集まりきれていないようだが、時間にきっちりとした会議スタイルなのだろう。
主催者が挨拶をして、配布された資料の説明が淡々と行われた。二種類の資料の読み上げが終わったところで、意見交換ですが何かご意見はありませんかときた。これはかなり一方的な展開である、状況説明も何もないまま、語意見交換ときたのだ。司会者はざっと一同を見回して、意見がないようでしたら本日の会議は以上で終了しますと宣言した。
始まってまだ15分は経過していない、こりゃ一対どういうことだ。ここで何か発言すると会議はどうなるのだろう、と一瞬思ったが、配られた資料をまとめて会議室を出る方を選んだ。考えてみるに、これは会議を開いたというアリバイを作るための会議ではないかと想像した。多分このプロジェクトでは、数回の会議開催を予定していたのだろうが、何らかの理由で開かれなかったのを、報告書作成のために事実を作る必要があったのだろう。なんだか知らないが事務局の連中が写真をたくさん撮っていたのは推論の妥当性を高めている。

万歩計

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健康保険組合から万歩計が支給された。歩いてメタボを予防しろということらしい。数年前、友人が散歩に凝っていた時、散歩のモチベーションを保つためのツールとして万歩計を使っていた。彼の使っいた万歩計は歩数を距離に換算して、奥の細道を歩くという趣向のもので、歩いた距離に応じて芭蕉がその道すがら読んだ俳句が表示されるというような物だった。芭蕉と一緒に奥の細道を歩いている気持になれるのだ。それを見て私も欲しくなったのだが、同じ物ではつまらないので同じ会社の製品で東海道の宿場を歩くというものにしてみた。
歩いてみると、結構距離が進むもので、東海道を何回か往復した思い出がある。
その後、自転車に興味が移って万歩計のことは忘れてしまった。
今度の万歩計は歩数の表示はもちろんだが消費カロリーや歩いた距離に応じた体重の減少量も表示される。計算値に基づいた数値なのだろうが、歩数に応じて具体的に表されると、興味を持つものなのだ。岡田斗司夫のダイエット方法は記録するということであったが、歩数をいろんな数値に換算して認識するというのも機能としては似ているのではないか。
明日からしばらくはベルトに万歩計を付けて歩くことになるだろう。

東京

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週末東京へ行ってきた。東京という町はあまり好きではない。どちらかと言えば大阪方面へ行きたいのであるが仕事上の都合で仕方ない。新宿や渋谷の人の多さにはうんざりする。野放図な町という感じがますます強くなっている。
しかし東京に詳しい友人に言わせると、人が蟻のように沸いてきて五月蝿いところは限られていて、ちょっと脇へ入ればまだ落ち着いた雰囲気があると主張する。そうだろう、どんな悪い奴でも、多少はいいところがあるものだ。東京が最低の町だったら、こんなに人は集まらないだろうから。
とはいえ、好きになれない。用件のある劇場や美術館に行くだけで他にはいっさい寄らずに帰って来た。

イタリア

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シポジウムの後、意見交換会になってワインを飲みながらの歓談になった。どうもこういう場面は苦手である。若い頃なら、若いなりの勢いのある論説でありったけの知識を随所にちりばめてというようなことも出来たのだが、そうも行かないのだ。でも、酒が進むとそれなりに話すことは出来るのである。言うなれば、酒が恥とか外聞とかのバリアーを外してくれるということか。
私の前に座った人と話が合って、イタリアの話題で盛り上がった。私は別の機会にイタリアのある都市の状況を調べたことがあって、その人はどうも経済学の先生のようで、イタリアについて該博な知識を持っていたのである。
飲んでいたのはフランスのワインなのだが(ラベルを見ろと言われたのだが、実はフランス語とイタリア語の区別がつかなくて)イタリアワインだったのかもしれないという思いにかられた。
イタリアは都市の国でフランスやイギリスは辺境の農業国なのだ。そう言う視点からするとアメリカなんて言うのは、とんでもない世界のはて、その先は海の水が滝となって永遠へ落ちているのだ。どんな世界観や。
でもまあ、久しぶりに面白い会話を楽しんだ。

先輩の話

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かつての上司が私を訪ねてきた。仕事で少しばかり頼んでいたことがあって、その報告だと思ったら、単なる世間話に立ち寄ったのだった。というよりも健康上の愚痴を誰かに語りたくてきたのだ。
この上司は現役の頃は、独善的で私は好きになれなかったのだが、70歳を超えた今人間的な深みを感じさせるようになって、自分の親父のような感覚でつきあっている。
この寒さで、背中が痛む、もう先はないなどと珍しく弱気なことを言っている。正月早々入院したらしいのだが、そう言えば顔色にも精気がない。
大丈夫かいな、と思って、我々のさらに先輩の80歳を超えた人の姿を正月に見かけたので、彼は元気そうだったと言うと、なんだか負けん気を出して「彼は見かけは元気そうだが、よく見ると足下がおぼつかないが、私は足腰はしっかりしている」と強がり出した。
そうして、しばし健康管理の秘訣を披露して帰っていったが、来た時より元気になったようであった。

議論

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どうも意見が合わない相手というのがある。打ち合わせなどでも、面と向かって反対意見を言う、反対意見を封じるという訳ではないが、言い方に刺があるのである。何を生意気なと口には出さないが、多分こちらも大人げなく眉が寄ったりしているのだろう。平静を装っているつもりなのだが、感覚の鋭い奴だから感じ取られているだろう。っていうより感覚が鋭かったらこちらの神経を逆撫でるような真似はしないか。
この野郎面白くないことを言う奴だ、と声がでかかっているのをぐっと飲み込んで、何か適切な反証はないか、この言い方は使えるかなどと考えていると、別の用件が飛び込んできた。「じゃあ、その意見に関しては再度議論しよう」と、一旦休戦だ。
しかし、そういう奴とも共通認識を持たなくてはならない。彼の反対意見を撤回させなければならないのである。しかも納得させて。
面倒くさい話である。説得ではなく、命令で従わせる方法を選びたいものだ。
とはいえ、彼の意見にも一理あることは分かっている。私の方針は、思い付きをなんとかそれらしい理屈をつけて格好を付けているだけなのであるということを自覚しているのだ。そんなものであっても、プロジェクトとして動いている以上、修正は受け入れられるが根本的な変更はあり得ないのである。
明日、再度彼と話をしなければならない。

図書館

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図書館で調べ物をしようと出かけた。図書館は歩いて15分ほどのところにある。結構近くて便利である。蔵書は量的には標準的なのだろうが、大きな書店と同じコンセプト、誰にでも支持される品揃えだけど全てを網羅してる訳じゃない中途半端な感じがする。学生時代に住んでいた町の図書館は、規模は小さかったが興味深い書棚だったので、ああいう趣味的なこだわりのある図書館もいいなあと思ったりする訳だが、何かを調べる分には今のような中途半端な図書館でも問題ないのである。
机の上にあった、ノートとペンとデジカメとその他の文房具を鞄に放り込んで出かけた。今日の空気は冷たい。で、図書館へは早足で行く。この図書館のリファレンス室は、鞄持ち込み禁止なのだった。多分貴重な蔵書を看板に忍ばせて持ち去る行為を防ぐための措置なのだろう。鞄はコインロッカーに入れて、必要なノートやペンだけをリファレンス室に持ち込むのである。コインロッカーに預けようとして財布を忘れていることに気づいた。鞄の中にあるのは文房具だけなのである。コインロッカーは百円玉を入れて鍵をかけ、出すときにまたその百円が戻ってくるというタイプ。費用はかからないとは言え、百円がないと使えない。しかし私にはお金がない。こういう場合どういう解決方法があるのか。思いつかなかった。
私はあきらめて、また寒い風邪の中を歩いて帰った。

一眼レフカメラ

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デジタル一眼レフカメラには興味がなかった。
デジタルカメラの良さは、カメラがかさばらず、フィルムの入れ替えを気にせずにスナップショットを撮ることができ、画像の確認が即時に出来て、いらない画像はその場で処分できるということ。画質に関しては、コンピュータ画面で再生できればいいので、200万画素もあれば十分だった。日常をメモみたいに切り取るということが面白いはずで、これまでのデジカメはそれを可能にするツールだった。
一眼レフカメラは、シャッターを押すのではなくて、カメラを構えるのである。そういう重々しさみたいなのが感じられて写真は気軽に撮るべきだと思う自分にとっては関係ない道具だった。
しかし、このところデジカメで撮ってみてもどうも面白くない。しかも気軽なスナップショットを撮るというわけにはいかない。結局構えてしまうのだな。銀塩の一眼レフカメラを使っていた頃と変わらない感覚でデジカメを扱っているということだ。シャッターを押すという行為に特別な意味を持たせているのだ、自分自身で。
だったら、現像の手間のいらない、デジタル一眼レフでもいいじゃん、ということになってしまう。何か新しい物を手に入れたい物欲というのは、現状の不満から芽生えてくるのだな。ここしばらく一眼レフカメラの情報から目が離せない。

寒い日

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寒い一日、マフラー無しで散歩していたら、首筋から冷えて風邪を引きそうだ。しかも今日はいろんな物を見失っている。プリントアウトした書類や大事なことを書き留めたメモ、それから図書館の貸し出しカードなど。図書館の貸し出しカードはすぐに再発行してもらえるので問題はないのだが、メモと書類は失ったということが気になって仕方がない。三つの失った物はきっとどこかで一緒になっているに違いない。

元気ない立ち上がり

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この一週間は早かった。正月の休みぼけがまだらになり、何となくはっきりしてきたと思ったら、もう週末である。テレビの番組は年末から同じビデオテープを流し続けているようだ。ニュースだけじゃないか、時々刻々と変わる世界を伝えているのは、といいつつ事件すらも元気ないことこの上ない。

社長訓示

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取引の関係で出かけた先の社長訓示を思い出した。5日のことだったな。もう70を超えているが実にかくしゃくとして元気のある社長だ。この地方の経済界でも重きをなしている人物。しかし、言っていることは、居酒屋でよく聴く話であるな。リーマンショックから始まった金融経済の崩壊により、百年に一度の厳しい環境になっているなどと得々と語る。右肩上がりの経済状況しか知らない社員諸君には分からないだろう。これを乗り切るには、ドルショックを乗り越えた私の経験こそが物を言うなどと言っている。そんな古い経験で大丈夫かなと他人事ながら心配になる。
そして急に、これからは、これまでのやり方ではだめだ、と言い出した。おやおや、さっき経験が物を言うと言ったんじゃなかったけ。まあいいか。
全く新しい発想が必要だと、言っている。そう言う認識があるなら、まず古い考えがこびりついたあなたが辞めるべきでしょうと、軽くつっこむ。
しかし、社員諸君は真面目に聞いているようだから、邪魔しちゃけないとその場を離れた。しかし、この支離滅裂さをうまく再現できないのが残念である。

つきあいにくい男

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自尊心が強い男はどうも傍迷惑なことが多い。
政治家なんてのは、自尊心と名誉欲の固まりなのだろうが、現在の総理大臣のように大雑把で物事を深く考えないのであれば、それはそれで回っていく。
しかし、世の中には賢くて自尊心が強い男というのがいるもので、こういう男は始末が悪い。
自分の立ち場を守るために、いろいろと策を凝らすのである。賢しく立ち回るのなら許しもしようが、自尊心に眼が曇って、露骨な言動に走ることがある、つまり男のヒステリーなのだ。
そういう男をみていると、全くとほほな気分になってしまうな。触らぬ神でいたいのだが、仕事上つきあわざるを得ないのでねえ。

コンピューター壊れる

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仕事で使っているコンピュータが壊れた。夏に新しくしてから二度目のトラブルである。前回はバッテリーがおかしくなったのだが、今回はディスクドライブのトレイがカチッと止まらなくなった。
機材を管理しているセクションに電話し、機種を告げるとまたですかという。また、というのは私が二度目だからではなくて、この機種がトラブルが多いということらしい。
私の組織は結構大きいので、使っているコンピュータの端末の数も相当な数になる筈だ。どのメーカーのどの機種にトラブルが多いという統計を取っているに違いない。その内訳を彼らは教えてくれない。情報公開しろよと言いたい。噂ではN社とF社がトラブルが多いらしい。本当かな。
ちなみに私の端末はN社のもの。
しっかりしてほしいなNEC。

寒いオフィス

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久しぶりのオフィスだが冷えて仕方がなかった。冬はウォームビズとかで暖房の設定をかなり押さえているのだろうが、それにしても寒いのである。
外を歩くようにコートを着てマフラーをするというのも妙なのである。重ね着は冷たい風から身を守るのには有効なのだが、冷えきったオフィスで暖かくなるというのにはふさわしくない。少し前にいたオフィスは超古い建物だったので、サッシやドアの立付けが悪くてすきま風が寒かった事を思い出した。
どこか窓が開け放しになっているに違いないと、まわりに声をかけると寒いには違いないが我慢できないほどではないという。
ある者は、年齢のせいで血行が悪くなって寒く感じるのだと言い切る。冗談にしては出来が悪い、笑うことができなかった。

近所付き合い

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この冬休みに近所のお年寄りが立て続けに亡くなった。年末も年始も葬式の手伝いであった。冠婚葬祭は必ず近隣のコミュニティがかかわっていたのだ。冠婚葬祭には飲食がつきもので、その昔は近所の主婦が総出で宴席の料理を作ったのだ。母親の時代昭和20年代以前は結婚式も葬式も自分の家が会場だったのだ。結婚式はいつしか近所がかかわる事はなくなった。昭和40年代を堺としているのだろうな。結婚式は会場がなんとか殿という式場やホテルに移っていった。
葬式には近所の人々が手伝うという風習が生き残っている。
葬式は葬儀社が仕切るのだが、香典の受付と金の管理だけは近隣の人がまかされるのである。通夜のときに、近所の人が集まって葬式の受付の手順と金の管理の相談をするのである。
しかし最近は、通夜も葬儀場で行うので葬祭会社にすべておまかせという場合が多い。今回の葬式も、受付とは名ばかりでそう言う役をこなす人として葬儀に参加したという事なのである。

お寺の床

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近くのお寺で骨董市をやっていたので冷やかしにいった。寺の中の書院でやっているのである。書院の畳の広間に二畳ごとに区切って、骨董や小民具などを扱う店が並ぶという風情なのである。畳の間なので靴を脱いで、上がったのだが床の冷たいのには参った。スリッパかなにか履いていれば、多少は違うのだろうが靴下だけだと畳の冷たさが足首まで伝わる。日の当たる南側の廊下は温かいのに、奥まった部屋の畳は氷の上のようであった。
お寺というのは、空間が大雑把にできているので本来寒いのだろう。しかし、満足な暖房器具がなかった昔は相当寒かったのだなと、骨董よりもそう言う生活感覚の方に興味がいっていたのである。

箱根駅伝

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箱根駅伝の中継番組をついつい見てしまった。一体なんなのだろう、こういうものを見てしまうという心理というのは。
買い物につきあわされる時間帯は、カーラジオで聞いている。駅伝の中継をラジオで聞く事ほど間抜けな感じはないのだが、耳を傾けるのだ。
私は関東地方の大学の出身ではないので母校の応援と言うものでもないし、かといって自分が長距離ランナーでこういうものに特別な興味があるという訳ではないのである。
唯一思い当たる節は、かなり前、親しい友人が神奈川大学出身で神奈川大学が強いころに箱根駅伝の中継を酒を飲みながら一緒に見た事があった。その時の友人の興奮ぶりに圧倒された記憶がある。野球やサッカー、あるいは格闘技の中継ならともかく、駅伝での中継で興奮できるのかとそのとき思った。
その年、彼の大学は確か優勝してその翌年、彼は奥さんと箱根へ応援に行ったのだった。それ以来、我々の仲間の恒例だった正月の飲み会は行われなくなり、彼は家族で箱根の温泉へ湯治をかねて行くようになった。
私は家で過ごす寝正月、会わせるチャンネルは駅伝中継になったのだ。

年始だ

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年始の挨拶に行って、毎年の事だが正月早々結局飲んでしまう。正月早々というところに屈折した感情が込められているのだが、単純に酒が好きなだけだと自分をいじめてみる。すっかり気分も新にという訳にはいかんな。

正月である

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さっきからずっと除夜の鐘が聞こえている。近所の寺で撞く鐘だ、
堅いことを言えば今から書くことは大晦日の出来事なのだが、書く日付は目出度い年明け正月元旦。
昨日と明けた今日がそんなにドラスティックに変わっているではない。当たり前であるが、問題はこちら側が変わらないからということだな。
でも、もっと改まった感じというのが欲しいのかな。
そうだ、この冬休みの間にある新しいことを準備しようと計画していたのだが計画倒れに終わりそうだ。そのことに集中すれば、何とかなったのかもしれないのだが、雑事に追われてしまう。冬休みじゃ短すぎるな、一年くらいオフにして、それまでの事をすべて忘れれば、改まって出直すという気分を演出することも可能なのかも知れんが。

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