2009年10月アーカイブ

素人芸を評価してはいけない

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立て続けに素人芝居を見た。いいものもあればどうかなと思うものもある。しかしそういう感想は心の奥にしまって、いや素晴しかった、と一様に言わねばならない。
失敗したと思われる結果のパフォーマンスでも、関係者は誰もが満足しているのだから、その幸福感に水をかける必要はない、ということだ。そういう優しさも必要だろうな。
評価というのはビジネスになったときにするものだ。そうなるまでは有頂天の気分を味わう幸せの中にいれば良い。
落語では素人芸の代表として義太夫が出てくる。義太夫をいいなあと、聞いているうちは良いが、それが自分でもやりたいとなる、稽古して少しうまくなると、人に聴かしたいとなって、世間にいろいろ迷惑をかけるようになるというような話の導入と同じ。

自己中心的思考

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友人は私の性格を評して、自分を中心に物事を記述するタイプと言ったが反論できない。
人間の性格分類で一番わかりやすいのが二分法だ。例えば、性格類型を外向型と内向型で分けるようなことだ。この応用形が犬型猫型で分けるとか、攻撃型守備型で分けるとか漫才のようにぼけとつっこみで分けるとか、いろいろある。
人間を類型にあてはめて考えるのは、そうした方が相対する人間の価値を判断するという作業において思考の手順を省略することができて合理的だからだろう。こういう考え方はどこかの本に書いてあったのだが、思い出せない。思い出す必要はないかもしれないが、こういう場合例えばユングがそう書いていたとかすれば格好いいけど、その本は多分新書の類いでその本の著者には悪いけど思い出せない。
それはさておき、自分中心にしか考えられない私のようなタイプとは違う類型はどういう人格類型として私の対蹠点にいるのだろう、と考えてみた。類型を表す言葉としては、地動説型と天動説型というのが相応しいな、これはちょっと格好いいと思う。
私は、自己中心的だから天動説タイプの人間、あるいはプトレマイオス的人間タイプと言う方がいいかもしれないな。学問的な匂いまでしてるし。
じゃあ、対極のタイプはというとそれは地動説な訳だから、ガリレオ的人間タイプということだな。しかしガリレオって、地動説を主張した割には結構おたく的な真実一路的な感じがある。勿論これは印象だけだが。
なんだか論点がずれてきたな。次回までにこの2つの性格類型に着いて、もう少し考えてみよう。

レインコートを着る

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今朝、テレビを見ながら会社へ行く支度をはじめたとき、テレビの天気予報は夕方から台風の影響で風雨が強くなると言っていた。風雨が強いときには傘は役に立たない。そこでレインコートを着てレインハットをかぶって風雨に強い装備で行くことにした。
朝はまだそんなに雨も風も強くなくて、普通に傘をさしている人たちに交じってレインコートとレインハットに身を固めて歩くと少し違和感を感じた。場違いな恥ずかしさににた感じだ。
しかしそれは、今のうちの事で夕方になれば、この格好が優位に立つのだと思ってあるいた。
今日は忙しくて、いつもより帰りが遅くなった。すっかり暗くなった帰り道を車のヘッドライトを浴びながら歩いたのだが、傘が必要なのかまようような弱い雨。
朝の予報とは随分違う、レインコートはカバンにしまった。靴だけは雨用のゴム底の靴。夜だからどんな靴だってかまやしない、と思いながら歩いた。
服装に関しては天気予報に裏切られたな。

雨模様のイベント

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普通なら雨が降るはずのないこの時期に、後ろ髪を引かれる涙のような雨がぽつりぽつり。野外のコンサートだけにやきもきせざるを得ない。イベントは成り立つのか、雨が本格的に降り出せば中止するしかない。その決断は現場にいる私にまかされているのだ。
しかも、そういう不安げな気持ちを表に出すわけにはいかない。いや、多分表情や態度には出ているにしても、言葉に出すわけにはいかないのだ。
イベントというのは、始まってしまえばこちらのものなのだ。そのあとは雨が強くなろうが、火事になろうが、イベントの成否は外的要因が理由になる。問題は、やれるかやれないかなのだ。空をにらみながら、基本的にはやるしかないのだが会場に集まった人たちが、雨で蜘蛛の子を散らすようにいなくなったら失敗なのだ。うう、胃が痛くなる、雨よ降るなと祈り続けるのである。

クライマックスシリーズ

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私はテレビを見ながら食事をする。行儀悪いという人もいるだろうが、長年の習慣だから今更変えられない。特に夕食時は野球中継を見ながらというのがいい。
私が応援するチームはBクラスなので、今年の野球シーズンは終わってしまったのだ。しかし、食事時には野球中継が一番合っていると思うので、楽天と日本ハムの試合中継を見た。どちらのチームにも思い入れはないのだが、野球というゲームを楽しみながら見る事が出来た。
多分サッカー中継では、こういう見方はできないだろうと思う。サッカーは激しやすいスポーツだから食事時には合わないのだ。
食事を終えた後、7回の攻防をのんびり見た。ああ、そうだこれが応援するチームの試合だったら、もうすこし感情が高ぶるかもしれないなどと自己分析している。
パリーグは、昨日の試合で日ハムに決まったようなものだろう。セリーグはどうなるか分からないけど、心情的には中日を応援しているのだが。

そうだ歩こう

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秋らしい気候になって、アウトドア雑誌などを見たりしていると、木に囲まれた小道などを歩きたいと思うのである。このごろ非常に忙しくて、散歩すらままならないので余計にそう思うのだ。
堺に住む友人は、相変わらず町歩きをしているのだろう、彼は待ち歩きのポイントが沢山ある町に住んでいるから町歩きをしているのだ、環境がそうさせているのだと思っている。私の場合、里山歩きだろうな歩く理由としては。この夏、ネットでピクニックシートを買ってそれをまだ一回も使っていないのである。これを使うためにも、近くの里山を歩かなければならないのだ。

ウオーリーを探せ

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友人は今は新幹線で一駅離れた所に住んでいる。彼とは中学校時代からの付き合いだ。とはいえ、最近では年に二三回も会うかどうか。高校生までは歩いて五分もかからない距離に住んでいたのだが。
昨日偶然、地元のミニコミ誌で彼の名前を見つけた。それは町のイベントのボランティアスタッフリストだった。
そのイベントが今日開催される、という事で、彼に会うために出掛けた。
実は私は仕事として、そのイベントを見て回らなければならないのだが、友人を見つけるという極私的なミッションが、面白みに欠けると言わざるを得ないこの町のイベントを宝探しの場所のようにワクワクするものに変えることができた。
イベントというのは、一キロ四方ある町のあちこちの小さな公園や大きな商店のロビーなどで市民の様々なパフォーマンスが終日繰り広げられるというというものだ。
その会場のどこかで友人はボランティアスタッフとして関わっているのだ。私は見つけたら、声をかけてどこかの喫茶店へでも行ってのどの渇きを潤して久々の邂逅での積もる話をしようという計画を立てた。
イベントの案内マップを便りに、15カ所あるパフォーマンスの会場を2時間かけて探し歩いたのだが、友人を見つけられなかった。イベントスタッフは皆同じ色のウインドブレーカを来ているので見落としたのだろうか。
こちらから見つけて声をかけるという事が面白いと思っていたのだが、疲れてきて足も痛くなってきたので、探すという遊びは諦めて、この際電話して働いている現場を聞くことにした。会って一緒にコーヒーを飲むだけでもいいや。
彼はすぐに電話に出た。
私は聞いた「今どこにいるの」
彼は答えた「家にいるけど」
ボランティアスタッフの名前はどうやら同姓同名の男だったようだ。

政治家N氏の死の話

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検診で胃カメラを飲むことになった。検査には、前日から酒を控え、食事も消化しやすいものにして臨んだ。同じ検査をする人たちが待合室で順番を待つ間にいろいろな話をはじめる。
はじめは「お宅は胃カメラ初めてですか」「そうです、少しドキドキしてます」というような話から、持病の自慢話、どうして持病が自慢になるのか分からないのだが「私は、こことこことここを患っていて、どこそこの医者に見てもらってる」というような話が続く。
その中で、面白かったのが医者に酒を止めるか煙草を止めるかの選択を迫られて、煙草をやめたのだが、そのストレスで酒量が増えて胃カメラを飲むようになったという男の話。
胃カメラを飲む前に、様々な検査をするのだが件の話をした男は、血圧がずっと高くて看護士が心配していた。男は「昨夜から、検査の為に酒を断っているので、通常の血圧値が出ないのだ」と主張している。なぜなら高血圧も彼の持病で、観察のために毎日計っているそうで、酒を断つと血圧が高くなるのは事実だと言い張っていた。彼は酒で日常の健康と精神を保っているのだ。
誰かが「(政治家の)N氏みたいだね」と言って、座が大いに笑い興じた。
その笑いを引き取って件の男は「ああいう風に死にたい。理想的な死に方だ。寝る前、彼は二度と目が覚めないなどと夢想だにしていなかっただろう。ああいう風に死ぬためにも、俺は酒を飲み続ける」と力強く言った。
しかし、その舌の根も乾かぬうちに「だけど、胃の中に腫瘍かなにかが見つかって、手術になったらイヤだな、入院なんてしたくない」と弱気な事言っていた。

交渉

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この二日間で2件の交渉が全てうまく行った。自分でも信じられない成績である。2件とも相手にとっては非情な悪条件であるにもかかわらず、こちらの提案を無条件で受け入れてくれたのである。いや、一件は多少の条件がついたのだが、それは想定内の条件であった。その場で即答しても良かったが、もったいぶって持ち帰ったというような事はあったにしても。
自分の交渉術が突然上達したわけではあるまい。一体どういう風の吹き回しか、何かひどいどんでん返しでもあるのじゃないだろうか、つい弱気になる。昔の人が言うように好事魔多しと。

折り返し不能点に立つ

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ここのところ忙しい。連休のしわ寄せが来ているのかもしれない。しかし月末で予定では仕事が入っていなかった。日曜日に出勤したのでその代休を取った。ところが、10時頃電話があって、なんだかややこしい話が持ち込まれているようだ。急遽出社する。プロジェクトを進めるか止めるか、タイムリミットが今日だというのだ、何で今頃そんなことを言うのか、詮索しても始まらない。雨の中を、プロジェクトのパートナーの代表に会いに行く。
少し拙速な動きかと思いながら代表と会って話をすると、確かに決断は今日しかない。明日以降では、折り返し不能点を過ぎてしまうのである。
プロジェクトが進むか止まるか、そんなことより、休みの雨の中を面倒がらずに動いた自分に驚く。まだ、ちゃんと動けるじゃないかと。まだ仕事の勘所は押さえられるのだ、少し調子が戻ってきたのか。

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