2010年2月アーカイブ

今日の論点

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今日もとあるスタディセッションでの議論を聞いたのだが納得がいかない。
要するに、ある論者の主張は今ある枠組みが気に入らないので、解体して再構成した方がいいという事なのである。
別の事例で言うならば、今の結婚生活はうまくいってないので、離婚して別の組み合わせにした方がうまくいく筈であるという議論なのである。
融 紅欄の決まり文句「あんさん、別れなはれ」じゃないけど、一度組み上がった枠組みはなかなか解体できませんよ。と、思うのは既に頭が固くなってきている証拠なのかな。保守的になっているのか。それとも、エーイ壊してしまえと、壊した先に希望があると思うのが脳年齢的に若いのか。いや若いからいいって事ではない、単なる浅慮というの可能性もあるしね。しかし、壊してしまえという論者は70を超えていると見受けた。

心の貧乏

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ある人と話をしていて、俺は受け答えに窮したので書いておく。
その人の論点は、要するに今の世の中は経済が逼迫していて困っている人が多い。そこで、演奏会や演劇のような文化的催しは腹の足しにならないので無駄だという事だ。
しかしなあ、そんな昭和の戦争時代の対応のような話題を出されても困る。しかも、そいうことを結構年功を経た年代の連中が言う。
話し相手のこっちとしては、ああ、そうですね、と薄ら笑いを浮かべて相づちを打つしかないのだ。確かに経済の困窮と福祉の要求の解決に目を向けなければならない。その段階で、文化的な事柄は優先順位の最後へ行かざるを得ない。
そういう発想は心の貧乏だ、と言いたいのだが相手の心には届かない。

いつも酔っている

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この時期は飲む機会が多い。遅い目の新年会とか同窓会、そうして今年限りで退職する人の送別会、そういう理由で宴会が続くのである。
3月にある、先輩の退職祝いの会の幹事をまかされている。今夜は、その会の打ち合わせの集まりなのだが、普通の飲み会と変らない。最初に簡単に打ち合わせをして後は酒を飲むだけだ。
しかし、今夜は調子悪い。食事をして、酒を飲んでいたら急に吐き気が来たのである。こりゃいかんな、こんなことはあまりないのだが一次会で家へ帰った。
家へ着いたら吐き気が収まった。これは何なのだろう。身体がアルコールを拒否しているのか。

意気投合

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先週末の話だ。意気投合した。これは一時的なもんだろう、と思う。なぜなら、独立的に存在する二者間の会話の中である一点の話題の結論について意見が一致したという事であるだけのことだから。
意気投合の本来的な意味を追求すると、実は本質的にお互いの存在を受容したという事ではないだろう。
え、何だってそれじゃあさっき言ってた事と矛盾するじゃないか。あんたさっき一時的と言ってたろう。それが行が変ったとたんに、本質的だと言う。一体なんだね、その言い草は。いや実はこの文章の前半は酔っていた時書いて、論理が滅裂なだけなのだ。
その番の事を思い出すと、一緒に飲んだ仲間とすごく意気投合してその事を書きたかったのだ。
落語に酒は見ず知らずの人を近づける力があると言って、酔って意気投合してお互いの娘と息子をめあわす事を約束して分かれたのだが、翌日酔いが覚めて、はてあの人はどこのお方だったか、と。
酒の力で胸襟を開いていたのだろうな。

銀座で買ったもの

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久々の東京出張だった。同僚と一緒に行った。
仕事上の打ち合わせであるのに、相手の都合に合わせて某高級ホテルの喫茶店で待ち合わせることになった。
ホテルの喫茶店は高いな。階ではない、金額がである。普通の喫茶店だったら500円のコーヒーがその倍もする。こっちが招待側なので、俺が払うしかない。こういうのは、経費で落ちるのだろうか。経理には、もっと安い喫茶店で打ち合わせができなかったのとか言われそうである。
そういう懸念はあったものの、打ち合わせは想定以上にうまくいった。
我々は使命を果たした事に安心した。思ったより早く用件が済んで、さてどうしようと言う時、同僚は銀座で買い物をしたいという。
どうやら、家族から銀座の土産を頼まれているらしい。そういうことで地下鉄で銀座まで行った。同僚の必要なものは銀座でも有名な店のようで、すぐに手に入れた。
じゃあ俺も何か買おうか、ということで銀座通りにある文房具屋でペンを買った。
少し高いペンだったが、仕事がうまくいった自分への報酬だ。自分で金出してるのだからどんな理由でもいいんだけどね。

都市の在り方

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中心市街地活性化の方策を巡ってというようなテーマのシンポジウムで、駅前で商売をしている人たちにシャッター商店街にならないためにはどうしたらいいかを考えてもらうヒントを出すのが目的だ。
地方都市はどこも同じように郊外に巨大な駐車場を備えたショッピングセンターができて、駅前の商店街はどんどん衰退しているのが現状だ。
このシンポジウムのコーディネータは、中心市街地の衰退は都市の死につながるのだという意見を持っている。
郊外のショッピングモールは、全国チェーン店や大資本小売り店だけで構成されていて全国どこへ行っても同じ店、個性のかけらもないような事でいいのだろうかとう問題意識を投げかけるのである。
中心市街地が活性化した成功事例として、金沢の美術館を核とした都市再生の歴史と取り組みが報告された。
素晴しいな、問題解決能力のある有能なリーダーと問題意識を持った多くの市民の共同によって、見事に金沢は輝いているのである。
翻って、わが町はどうか。駐車場代が高いうえに、品揃えも良くない商店街で買い物するより、豊富な品揃えでしかも安い商品がたくさんあるショッピングモールの方がいいと消費者の大部分は考えている、と思われる。
ショッピングモールに囲まれたコンビニ都市、そういう都市を望んでいる市民が多いのなら、そういう都市像を受け入れてもいいのじゃないか。
これって開き直りなのかね。

品格って何だ

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品格って何だよ。その地位にふさわしい、それらしい振る舞いをする、ということかね。そういうことなら、品格がないという事は、その地位にふさわしい振る舞いをしないということになるわけだ。
昔は地位が人を作ると言ったが、昔の人は地位に合わせて行動や発言の規範を持っていたということだろう。
じゃあ、地位って何だろう。今で言うなら会社組織の中で役職に向かう階梯の一段階でしかない。
それとも、地位って言うのは自分の住んでいるコミュニティの中の役職なのかな、例えば自治会長とか自治会役員とかの。それは地位という感じがしないから、会社の地位の報の意味だろうな。てことは、恥も外聞もなく会社に尽くして出世するようなのがつく地位に似合った品格ということになるよね。
品格という言葉はどうも好きではないのだが、うまく言えないのだ。

真意がつかめない

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私の上司は私より年下である。長い間、年功序列社会に生きてきたので、年下の上司というのは初めてである。普段は別の場所にいるので気にならないのだが、重要事項の決済の際には、説明のために彼の部屋へ行かなければならない。
こちらは何となく話しにくいと思っているのだが、裏を返せば向こうも話しにくいと思っているのだろうな。
しかも噛んで含めるような説明だと、バカにしているように思われても何なので、要点をかいつまんで簡単に説明する事が多い。
向こうも、質問したり指示を出したりするのは最小限の言葉で済ます。
そんなことで、こういう状況になって、そろそろ一年近く立つのだがいわゆる会話は少ない、コミュニケーションがとれていない関係とも言える。そんなんでも仕事を進めるには、大きな支障はないので放ってきた。
しかし、今日は込み入った内容を打ち合わせなければならなかった。しかし、これまでと同じような調子でのやり取りだったので、ニュアンスがつかめなかったのである。困った事だ。誤解なら誤解のまま進めても、大勢に影響ないのであるが。

芸術家はわがままだ

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芸術は爆発だと言ったのは岡本太郎だ。岡本太郎の変人ぶりは伝説的だったようだが、常識にとらわれない生き方をすれば、常識人からは変人だと言われる。
岡本太郎ほどの独創的な芸術家ではないが、私の仕事の関係者に芸術家がいる。やはりちょっと変っている。それが、彼の個性なのか、芸術家としての役割を演じているだけなのか私には分からない。
ビジネスパートナーとして見ると、わがままだが、それを補ってあまりある仕事をしてきたのでマイナス部分には目をつぶって付き合ってきた。
しかし、最近そのわがままが常識の範囲を超えるようになってきた。
今日はその事で、意見するために会う事を約束をしていたのだが、約束の時間に随分遅れてやて来て、五分も話す時間がなかった。
このままでは、彼とは仕事をしなくなるだろう。それにしても寒い日だった。

2月と3月

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「忙」という字を分解すると心を亡くすという、などと白川先生が聞いたら怒るような俗説ではなくて本当にそうだったらどうしよう。こんな疑問も今はネットをさまよえば答えが出てくる時代だ。しかし忙しいときには、まともに人間らしい思考ができないように思える。先月の後半から妙に忙しいのだ。で、我が心ここにあらずであったような気がする。
いやいや、昔から「小人閑居して不善をなす」というように、余分なことを考えない方がいいのだ、という先賢の知恵もあるしな。心を亡くした方がいいのかもしれん。
最近落ち着いてふと月めくりのカレンダーをみると違和感がある。カレンダーが1月のままだった。さっと引きちぎってゴミ箱へ1月を捨てた。その後指摘されてよく見ると、カレンダーが3月なのである。そうか、1月と2月を一緒に引きちぎって捨ててしまったのだ。
何故気がつかなかったのか。2月は28日までなので7の倍数の日数。つまり、曜日と日にちについては、2月と3月は全く同じなので、違和感がなかったのだ。
カレンダーの心を忘れているのだな、いみじくも今日は節分。
全然関係ないけどね。

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