2010年10月アーカイブ

石橋を叩いて渡らない

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台風14号は前評判の割には当地にとっては大したことなかった。それはそれでよかった。奄美大島の住民に取っては泣き面に蜂になるところだったろうが、台風への処し方は慣れたものだったろう。
私の友人に、心配性と言うか用心深いと言うか、単に物事を面倒にしたがると言うか、そういうタイプの男がいる。
当初、台風の進路予想では、当地の近くへ上陸するなどと言われていた。今回の台風への備えに関して、まだ雨も降り出していない状況からいろいろと余分な心配をするんである。ちょうど、週末に屋外の作業を予定していたので、雨具の用意のほかに強風への備え、出水への備え、万一のための作業順延の備えなどいちいち小五月蝿いことを言うのである。
ははん、こいつは台風をだしにして、何もやらないようにする積もりだなと思うほどなのだ。石橋を叩いても渡らない、なら分かるが、こいつは石橋を叩いて渡らないのである。

内面と外面

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岡山へ出張だった。別のセクションの一番偉いお方と一緒だった。一緒に行ったのだが、要するに偉そうな態度の奴なのである。
我々の業界の、周年式典に出席するためで、同行したその偉そうな奴はそこで表彰されるということだった。私はその式典と同時開催される別の会議に出席する予定だった。同じ会合なので一緒に行ってくれと頼まれたのはいいのだが、なんだか秘書みたいな扱われ方だった。
ほとんど交渉のないセクションの奴だったので、どんな人柄かも知らなかった。妙に腰の低いへこへこ頭を下げる男だなと言う印象があっただけだ。
そういう印象とは大違いで、人を小馬鹿にする物言いの奴で態度もその通りだった。
新幹線に乗って最初に言ったのが「おい、飲み物買ってこい」だった。まあ、いいよそれくらい、飲み物ぐらい買ってくるよ、と素直に動いていると、図にのるというかなんというか全てがそんな調子だった。
それでいて、第三者には抜群に人当たりが良くて腰が低い。
君子豹変というが、その使い分けは見事だった。しかし、君子とはとても言えないな。これほどの、内面と外面が極端に違う人間も珍しい。

盗まれた車が戻ってきた話

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同僚が今朝、少し気落ちした様子で話したことには、昨日の深夜に車が盗まれたのだそうだ。彼の妻が普段使っている軽自動車で、今朝自宅前の駐車場に車がないことに気がついた。
そのことが分ったのは出社間際で、彼は自分の車で会社まで来たのだが、警察へ連絡するようにと指示して出てきたというのだ。
そんなに高級な車じゃないが、盗まれたとなるとまた新たに買わなければならないだろう、余分な出費は痛いなどと話していた。
しかし、家の前の駐車場から盗むなんてどうやったんだろう。レッカー車を持っているような自動車専門の窃盗団かもしれない。彼の妻の話では、夜中の2時過ぎにに近所の人が車の音を聞いたと言っているということだ。それも重要な情報として警察へ伝えられた。
自動車専門の窃盗団だとすると外国人が絡んでいるなあ。今頃は人気の無い山の中の廃車置き場で解体されているぞ。いや、解体せずにそのまま船で運ぶだろう。
人の不幸の話なのだが、何だか話が盛り上がったのである。
そして、そういう話も忘れかけた夕方、彼の妻から電話があって、どうやら車が見つかったらしい。
おー、さすが、日本の警察の捜査力は素晴しい。犯人グループを一網打尽にしたのだろうか。
違う、そうじゃない、近所のコンビニの駐車場で見つかった。
犯人は逃れられないと思って駐車場へ放置したのか?
いや実はと、彼は恥ずかしそうに真相を語った。昨日夕方、彼の妻は件のコンビニへ車に乗って買い物に行ったのだ。ところが帰りは何故か歩いてきたのだ。
そのことをすっかり忘れていて、今朝方の騒ぎになったということだ。一件落着。

思い出話

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思い出話に花を咲かせる機会が多かった。大学を卒業して間もない頃の話だ。何人かが集まって話をすると、同じ出来事をそれぞれが別の角度で覚えているのが分る。
ある出来事の発端にしても、それに深く関わった者と、傍観者だった者とでは事実とされたことが全く違っていたりする。今だからいえる事実というようなことか、当事者が亡くなっていたりするから、あからさまに話せる事があるのかもしれない。
「ええ、そうだったのかよ」「そうなんだ実は」で、話は発展していくのだが、時間の経過が過去を美化しているということもあるのかもしれない、などと私などは意地悪く考えたりするのだ。
「相変わらず、人が悪いな」で笑って済ませるのだが。

生計の成り立ち

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酒は好きだが、外で飲むのは好きではない。
外で飲むときにはストレスがありすぎる。例えば、小さな店だとトイレは今誰か入っているとかを気にしなければいけないときがある。生理的現象でどうしても行きたいと思っても、先客がいれば待たなければならないのだ。酒はストレスを発散させるためのものなのだから、そういうところでストレスを感じるのは嫌だなと思う訳である。勿論、外で飲むときの最大のストレスは支払の金額の多価であるが。
今夜、久しぶりに行った店は主人が替わっていた。10年近く通っていたバーだが店に入ると、違和感を感じた。当然だろう、経営者が替わったので店の内装が変っていたのだ。
新しい主人とおぼしき人に何がどうなっているかを聞いてみる。
その人は雇われているので様子は分らないと言う。知っていても他人に話すようなことではないと思ったのだろう、普通の人ならそう思う、当然だ。
などと考えていた。たぶんその時気まずいような沈黙が続いていたのだと思う、新しいその店の主人が、前の人なら○○町の○○という店に移りましたよ、と言う。
そうか、今の場所では経営が成り立たなくなったのか、あるいは新しい事業展開を目指したのか、営業の場所を変えたのだ。
馴染みというほど近しくもなく、かといって一見客でもない、飲み会の帰り道にある店なので、名前を覚えられる程度に入った店だ。
店の主人がいなくなってみると思うことがある。というのは、どういう生計だったのだろうと。私の住んでいる町の飲食店が集中している地域から少し離れた場所にあって、夜の10時以後はほとんど通行人がないような場所にある店で、私がその店に寄るときは、他に客が一人か二人、いればいい方でほとんどの場合、客は私一人なのだ。
主人は手持ち無沙汰なので、客を話し相手にするのだが、なかなかの話術の持ち主で飽きさせない。次の客が入ってくるまで、話題を切らせないのである。
酔った夜など、もういいよと思うのだが、つい話に引き込まれて長居をしてしまう、そういう店なのであった。そういう事でありながら、私の支払はいつも安く済んでいた。一次会で飲み過ぎて、財布にほとんど金がないような状況でも、飲めたのだから安い店なんだろう。そういう店が成り立つ懐の深さがあったのだが、何だかぼったくりの店ばかりになってしまっている。

夜歩いて

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夕食後に思い立って歩いてみた。万歩計を探したが見つからなかったので時間だけで歩く。30分歩いて、そこから引き返すという大雑把な計画。
歩いている間にいろいろな妄想が浮かんでそのなかから面白いエピソードでも出てこないかと思ったが、妄想しながら歩くというのは難しいことが分った。

巻き込まれるか

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面倒な話に巻き込まれそうである。話自体は単純なのだ。つまり、相手方にノーとハッキリ伝えてあとは手順の仕事を淡々と進めていけばいいだけの話なのである。
ところが、我々の上司はそれまでの会議での自分の発言を撤回することができないのである。そうすることは面子が立たないと思っている。そのために、ノーと伝えるためにも、様々な理由を創る必要があると考えているのだ。その様々な理由は少なくとも3つくらい必要だと考えている。そこで、我々はその面子を保つためだけの理由を考えるために会議を催すのである。
私は、その姿を少し遠巻きに、無駄な会議ばかりで時間の無駄だと言っていたのだが、その無駄な会議に、明日巻き込まれるかもしれない。

寛容なこころ

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いいよ、いいよ全てを許そうじゃないか。ここは一つ、込み上げる怒りをぐっと抑えて、こめかみの震えを笑いでごまかそうじゃないか。
まったくしかし、どうしてこんなに怒りっぽくなったのだろう、昔はもっとにこやかで穏やかにしていた筈なのに。
歳とって涙腺がゆるくなったことは確かだ。つまらない映画でも泣かせどころではちゃんと泣くようになっている。本当に不本意ながら涙が出てくる。それと同じように、堪忍袋の紐もゆるくなってきているのだな。多分。

メタボ解消の努力

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健康診断の結果が通知されてきた。予想どおり、というかここ数年毎年のように中性脂肪と尿酸と肝機能の数値が要受診という結果。いわゆる生活習慣病といわれているものに罹患している状態なのだろう。これを改善するには酒を止めて運動するしかないのである。
ということで、今日は早速二時間ばかり歩いてみた。しかし、歩くだけのことではどうも長続きしそうにない。ランニングのようにその行為にのめり込むような脳内物質エンドルフィンだっけ、が分泌されないので単調さに飽いてしまうのだ。
世間のウォーキングをしてる人たちは何が面白くて歩いているのだろう。

気が重い野球観戦

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ペナントレースの勝ち負けは140分の1なので気楽に見られるのだが、マジックナンバーが出たあとのゲームとか、クライマックスシリーズは勝てば気楽になるのだが、負ければ棺桶に片足突っ込んだような気分になるものだ。
そういうファンにとっても重要なゲーム、つまりここで勝たなければいけないと言うゲームを、判で押したように負けてしまうチームを応援しているので、ゲームの観戦の仕方も縁起をかつぐ。一番重要な縁起担ぎは、ゲームの途中でテレビ中継を見ようとテレビを付けるとその瞬間に、相手チームに得点が入るというものである。
だから、テレビ中継を見ようとするときには、相手チームの攻撃時間帯でない頃を見計らわなければならない。そのためには、インターネットの文字中継で攻守を確認してテレビを点けなければならないのである。
そういうような努力をして観戦したのだが、どうしても重要なゲームは負けてしまうようだ。

気楽な野球観戦

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野球と言うゲームは、いわゆる「ながら」のテレビ観戦に一番相応しい。
今夜はパリーグのソフトバンクとロッテのシリーズ中継を食事時の環境映像のように見ていた。このパリーグのチームに愛着があるわけではない、かといってアンチファンでもない。テレビの画面に、野球場の緑のフィールドが映えて、ピッチャーが投げキャッチャーがその球を受ける、そういう様子が映ればいいのである。
音を少し絞り目にしていても、ヒットが出たり、フォアボールでチャンスが広がったりすると球場の応援の音やアナウンサーの声が大きくなるので、試合が動きそうになるのが分る。
そこで初めて、画面に注目すればよいのである。
それまでは、食事に集中したり、新聞を読んだりしていればいい。なんと気楽な話じゃないか。

地下の暗闇

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地中深く閉じ込められた人たちは無事救出された。
閉所恐怖症的なところがある私は地面の下にいる事を想像しただけで心が萎える。あの中にはきっと閉所恐怖症の人がいるに違いない、と思ったが、閉所恐怖症だったらそもそも職場として選ばないだろう。しかし、後遺症としてもう地下には入れなくなる人はいるだろうな。
報道によると、映画化するという話もあるそうだ。見たいとは思わないがな。地下の暗闇のドラマなんて。

月曜日のような火曜日

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休み明けの職場は月曜日というのが身体で覚えた曜日感覚だ。先週アポイントを火曜日に入れておいたのだが、それって今日じゃないか。火曜日にアポイントを入れる場合、休み明けから一日置いてという感覚だから、月曜日にアポイントの内容を確認すれば良いと段取りをするのだが、今日だった。
準備不足で相手との話はしどろもどろだ。

連休に高速道路

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連休だったが、一日目は雨、二日目は暑さのぶり返し、今日も今日とて愛知県へ行く用件があった。高速道路は相変わらず混んでいる。高速道路の特徴は自動車専用で信号がない道と再定義しなければならないな。決して高速で走れる道ではない。

劇場の暗闇

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随分久しぶりにバレエを鑑賞した。友人がチケットを譲ってくれた。というより押し付けられたと言う方が正しい。もったいないからと、そのバレエのチケットの金額は高かった、結構良い席なのだ。高い席だからしっかり見ようと思ったのだが、日頃の疲れがどっと出たのだろうか、いつしか記憶が消えていった。
バレエって良いな、演奏会と違って観客は舞台に集中するから。多少の体の動きは気にしないで済む。演奏会だと、眠りに入って首がかくんと揺れるだけでも、まずいと思うのだけど。そういう言い訳を考えながら熟睡してしまった。
幕間に、目が覚めてトイレへ行って、もう大丈夫だと思ったが次の舞台でも眠ってしまった。バレエって舞台に光を集中させるために、客席の明かりは真っ暗にするのだな。その暗闇が眠りの世界に誘うのだと分った。

物欲の秋

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予想より早く雨が降り出し、湿っぽいけど涼しくなって外出しやすくなった。久しぶりに電器屋へ行ってみる。目的があったと言うわけではなく、約束の時間まで1時間弱あったので時間調整のために行ったのだ。
私が時間がつぶせる場所と言ったら、本屋か電器屋か文房具屋ぐらいしかないのだが、今日の時間調整に都合のいい店は電器屋しかなかったということなのだが、こんな言い訳してもしょうがない。
暑い夏に、ほとんど出かけることはなかったので、あれもいいなあ、これも欲しいなどと物欲を刺激されるかと思ったのだが、そういう物は少なくなった。
電気店も面白くなくなった、ビックカメラだけど。
iPadを見ていたら、店員に声をかけられた。キャンペーンやってますと。以前は電器屋の店員は客に声なんか掛けなかったけどな、そういう店の方針に変ったのだろう。iPadは気になるけど、まだ買う時期じゃない。日本語の縦書きに対応した電子ブックリーダーが完全ではないからだ。いずれ、対応するソフトが出るのだろうけど、次のバージョンまで待ちだな、と店員に買わない言い訳のように話している。
次はデジカメだ。コンパクトデジカメじゃものたらない、それくらいだったら携帯のカメラ機能で十分だし、かといって一眼レフデジカメじゃ物々しい、くらいの選択の幅があるから、これだと言う決め手がない。ミラーレスの一眼レフカメラでもオリンパスとパナソニックとソニーが拮抗しているがどれも決め手に欠ける。今使っているデジカメでいいやとなってしまう。あ、これ欲しいにならないのだな。

勝負の行方

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昨日は阪神の最終戦でここで勝てば2位ということだったが、ここぞと言うときに負けるチームカラーの伝統をしっかり守って負けて3位に転落したのである。
今日は巨人の最終戦でこの試合に勝つか引き分ければ、2位なのだがこういう時には必ず勝つチームなのに何故か負けて、結局阪神と入れ替わって、3位に落ちた。
2位と3位を較べるとクライマックスシリーズでは0.5勝くらい有利になるし、棚からぼたもちみたいなものだけど、よかったよかった。その野球と並行してサッカーの国際試合が行われていて、イタリア人の監督の初采配の試合だとアナウンサーが言っていた。なかなか面白い試合だった。よくがんばって勝ったのでこれもよかったよかった。

メタボリックシンドローム

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健康診断だった。血圧とかメタボのチェックは見ていれば分るから、これはいかんなと自覚できるのだが、胃カメラとか尿検査とかレントゲンは彼らの解析結果を待つしかないのである。看護士は数週間後に結果がでると言うのだが、急ぎなさ過ぎだな。
自分の身体は満身創痍なのだと思う。いや、創痍ではないな、というのもどこにも人工的な傷跡はないのだから。
そうだ、親からもらったこの身体に一つの傷もない。盲腸の手術すらした事がないのだ。
そんなこと自慢か?まあいいか。
外見は問題なさそうだが、実はメタボで引っかかるだろうな、予想では。
運動しなきゃと思っていたのだが、もう遅い。かといって、明日からジョギングしようとは思わないけど。

犬の思い出

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犬を亡くして1年たった。14年間飼った犬だった。私は犬はあまり好きではなかったが、家族が飼いたいと言うので、新聞で知った譲りますと告知する、ブリーダーの家へ行ってみたのが飼うきっかけだった。
盲導犬とかになるような賢いとされる犬種、ラブラドルレトリバーだが、アホな犬だった。血統とか血筋とかあるけれど、もし競馬のサラブレッドやったら、真っ先に除外されるだろうな。そういうアホさが私の波長とあって14年過ごしたのだ。
大型犬という事もあって、動作がゆったりとしていて大人の風情を持っていた。(所詮犬だが)
私なんかは、せこせこと幇間みたいに、言うなりゃ鶏みたいに、へこへこと頭を下げるつもりであごでしゃくるという、使用人のくせに使用人という立場に徹しきれないで、上から目線でものを言う事が多かった。
そうだ、こういう状況って、上方落語の「百年目」の番頭の立場に近いな。桂米朝も「百年目」は思い入れがある話だと、どこかに書いていた。
「百年目」は、大阪のさる商家の番頭が隠れて、茶屋仲間を引き連れて花見に行く道中に花見酒に酔う。酒で気が大きくなった所で、偶然同じ花見の場所で桜を見物していた主人に出会う、その番頭の心の動きを見事に写す落語だ。
要するに番頭という中間管理職の喜怒哀楽を描写した話で、主人に対してしなくても良いような遠慮をするのだ。
それが、雇われる者としての自分と重なるのだが、犬は飼われているくせに主人に遠慮しない。そこが犬の超俗性を感じさせる所だ。
これって「百年目」ではなく「鴻池の犬」の噺を引き合いに出した方が良いのかな。

間に合うか

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S電機の株が公開買い付けになって、そろそろ締め切りである。買ったときの半値近くに下がって、もう塩漬けだと全く手をつけていなかったのだが、申し込まなければいけなかった。調べてみたら、なんと明日が期限じゃないか。
間に合うかな。

図書館で借りた本

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先週末、友人と飲んでいるとき落語の話題になって、彼はやはり志ん生がいいという。やはり火炎太鼓だな志ん生はなんて話で、蘊蓄を垂れる。まあ志ん生も悪くないが、私は上方落語の方が好きだと言うと、落語は江戸に限ると、目黒の秋刀魚みたいなことを言う。それじゃあ上方落語の面白さを説明してやろうてんで、米朝、枝雀、松鶴の名前を出したは良いが、蘊蓄を垂れるほど上方落語については知っていなかった。
しょうがないんで、日曜日に図書館へ行って、上方演芸大全を借りてきてざっと目を通して上方の演芸の歴史を頭に入れた。
今さら上方演芸の知識を仕入れた所でその蘊蓄を垂れる場面なんて訪れることはないだろうと思うのだ。
ところで、図書館で上方演芸大全の隣に上岡龍太郎の「隠居のススメ」というのがあったのでついでに借りてきた。
上岡龍太郎は、長らく関西ローカルの有名番組「探偵ナイトスクープ」の局長をやっていたのだが、突然引退した人だ。上方芸人には珍しい、知的な毒舌を吐く事で有名だったような印象がある。
上方演芸大全によれば、上岡龍太郎として活躍する前は漫画トリオという漫才トリオで横山パンチとして活躍していたとある。私は漫画トリオの記憶はあるが、横山パンチの事はほとんど記憶にない。横山ノックの印象が強すぎる事もあるが、私の住んでいる地域は、どちらかというと関東の文化圏に近くて、1960年代はまだ大阪の漫才は認知されていなかったせいもある。
その、上岡龍太郎のエッセー集なのだが、期待したほど面白くなかった。

シエスタのしすぎ

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長い夏の暑さ疲れだろうか、昼食のあと、強烈な睡魔に襲われて、昼寝どころではない、1時間以上熟睡してしまった。午後出かけなければ行けなかったのだが、起き抜けのだるさに心が折れて、外出を諦めた。
それで、午後の予定が全て狂ってしまった。まあいいか。

アートを鑑賞する

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朝、散歩のコースにある公園の広場に見慣れないものが並んでいた。
どうやら屋外アート展の作品のようだ。新聞で紹介されていた、市内の芸術愛好家達が催している現代アート展なのだろう。芸術の秋だな、と納得して作品を鑑賞することにした。
鑑賞はしたものの作品をどう解釈するかは自分のなかで得心できたものはなかった。
一つ一つの作品には説明のパネルが添えられていて、作者の製作意図が書かれている。文章に綴られた作者の意図は十分に理解できるのだが、目の前にあるオブジェと結びつかない。
作者はある意図を持って、石や木や針金やプラスチックやらを使ってある形を作り上げているのだが、その形や色や動きが、作者の説明する意図として伝わってこないのだ。
こちらの感受性が貧困だからなのか、オブジェの作者の伝える力が未熟なのか、どちらの所為なのだろう。公園を出て家に帰るまでずっと考えていた。それが芸術なのだろうか。

まずは再参加

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この3ヶ月ぐらい別の世界に行っていた。どういう世界かと言うとばかばかしい話だが現実世界なのである。一応ネット世界と現実世界は違うのではないかという、そういう想定でネット世界の意味を自分で納得するためにどうしたらいいか、考えてみたのである。
中学生が考えることみたいになったのだが、どちらかを遮断すれば、残された方の存在意味がより鮮明になると思ったのである。本当に中学生よりも発想の程度が低いと自分でも思う。小学生かな、小学生だとしたら何年生レベルだろう。学研の雑誌の付録に心躍らせた時代。というか、違うよね話の筋が。

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