2010年12月アーカイブ

年賀状に手をつける

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年賀状を作り出した。といっても、私の場合、版画とかそういうものではない。この時期に版画なんて間にあう訳でもなし。
友人の年賀状は版画なのだが10月頃から準備すると言っている。多色刷りの凝った版画の年賀状だ。
そういう年賀状を受け取るのは嬉しいのだが、自分でやろうとは思っていなかった。
私の場合、プリントごっこで年賀状を大量に作っていたなあ、随分前の話だ。
それが、何時のまにかコンピュータからプリントアウトするようになっている。数をこなすには楽だなと思った。けど、その頃から、年賀状を出すのが面倒に思うようになるのだな。
それで、ある年、年賀状の答礼をしなかった。すると、翌年は送られてくる年賀状の数は3分の2になった。要するに義理の年賀状にフィルターを掛けた、ということだが義理とは言え何らかのつながりは切ってしまった訳だ。それはそれでいいと自分を納得させた記憶がある。
それはそれとして、今は住所録データからするすると宛先を含めてプリントされるのである。やっぱ義理の再生産だよな。と、思って今は手書きで宛先を書いているのだが、それが今日のタイトルの年賀状に手をつける、の意味なのだ。

点数化が一番

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何でもかんでも数値化なのである。あらゆるものを数値化してそれを足して割って、平均点数の多いものが優れたものになるのである。
今日などは二回も数値化した。
一つは部下から提出された提案を数人のリーダー連中が集まって、提案のユニークさ、実現性、費用対効果などという項目を点数化して優劣を付けた。
もう一つは、あるプロジェクトに対する企画会社のプレゼンテーションを聞いて、その後同じように点数化して優劣を付けたのである。
数値化して平均点を出して、その差でしか優劣が判断できないようになっているのである。今日この頃の組織というのは。

他人を悪く言うな

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俺は基本的に善人なのである、と思っている。しかし、善人かどうかというのは他者からすれば評価の度合いなのである。つまり、自己評価としての善人と、社会からの評価とは自ずから異なる、ということだけなのだが。
今日友人と話をしていて、昔、共通に敵意を抱いていた奴の悪口を言い合って盛り上がった。少なくとも我々にとっては、最悪の存在なのだ。
ところが、そいつは今となっては社会的に認められるような仕事をするようになっているらしい。
ということは、俺の人物の見方が世間と違うということなのだ。信じられない、昔、散々衝突していた奴が今は世間で認められているのだ。
俺の人物を見る目はそんなに低水準なのだろうか。軽々しく他人を悪く言ってはいけないのだろうかね。

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