2018年8月アーカイブ

雨の神様の怒り

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数時間前、遠雷が聞こえてお湿りのような雨が降ったと書いた。その6時間後の今、轟く雷の音と稲光が凄まじい。雨は瓦を叩き、軒から流れ落ちる雨水は滝のごとしとは言わないが、十分な水量が予測できる。


県内には大雨注意報が出されたとテレビの画面にテロップが出ている。

これを見た時、私は天罰を受けたと思った。先の書き込みで私は雨の神様はまるで力がない、形式的な神であるようなことを言っていた。それを嘲笑うかのように、滝のような雨を降らせているのだ。

表へ出てみると、家の前の道路には小さな流れができている。マンホールに溜まった水には雨が無数のミルククラウンを作っているのである。

ああごめんなさい、雨の神様、悪口言ってごめんなさい。

そう言いながら、マンホールの無数のミルククラウンを写真に収めようとしたのだが、スマホでは再現できなかった。

遠雷と打ち水

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暑さを避けて家の中を暗くして(日差しや熱気が入らないようにカーテンをしめている)ぼんやりしている時遠くの方で雷のような音。
この季節の夜ならばどこかで花火でも打ち上がっているのだろうと想像するのだが、暑さが盛りの午後2時である。
時間をおいて聞こえてくる。窓を開けて空を見上げる。雲は広がっているが強い日差しは相変わらずだ。北の方の雲が厚く色が濃い。あの辺りで雷が発生しているのだろうか。

数分おきに音はする。夕立ならばさーっと風が吹いてきて空がにわかに暗くなってザーッと降り出すのが普通だが、そういう気配はない。

30分ほど続いただろうか、少しづつ空が暗くなってきている。
気がつくと、地面が濡れていた。

打ち水の練習か。外に出るともう日差しが戻っていて微妙に濡れた地面から蒸気が上がって湿度はぐんと上がった。湿気で気持ち悪い不快感。

打ち水で涼を呼ぶなんて、誰かの幻想だろう。

骨董市へ行く

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妻が骨董に興味を持って久しい。

骨董的なものに関しては私の方が昔から興味があったし、井伏鱒二の「珍品堂主人」を読んでこんな風に趣味に生きられたらいいのになと若い頃から思っていたのである。
ところが私の骨董趣味というのは単なる薄っぺらい懐古趣味であることが自分でもわかっていつの間にか骨董的なものに興味を失ってしまった。

ところが妻は骨董的な趣味をどんどん追求して行ったのである。
家の調度は古い和箪笥になり食卓はアンティーク風なテーブルに壁には中世の宗教画がかかるようになっていた。

今やネットオークションで売り買いして趣味と実益を追求している。

近くの展示場で骨董市が開かれるので私は妻をそこまで送る運転手となり同行した。
体育館より少し広い会場に様々な骨董品、例えば陶器、絵画、掛け軸、古布、古道具などを売るブースが並んでいる。

骨董市と他のなんとか展示会とかなんとかバザールなどとの違いは売り手の熱心さの差だな。骨董市のブースの主人は売る気がない。というより客から声を掛けなければ絶対応対しない。

売主のいらないものを無理やり捌こうとしているような「如何ですか?」「いらっしゃませ?」「ただいまタイムセールです。今がチャンスです」などという、うるさくて定型的な声は全くない。

商品というのは、客の気持ちが動いて購入されるものなのだ。押し付けて売りつけるようなものではないのだよな。

骨董品を選ぶというのは自分の美意識に沿ったものかどうかを勘案しながら見定めていく作業なのだろうな。そういう客の心の動きに店主はじっと寄り添うのだ、きっと。

私は骨董品を見るのは楽しいんだけれどそういう趣味はないとしか言えない。祭の夜店の商品を眺めて楽しむタイプなのだ。


トイザらス

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久しぶりの友人と会うために出かけた。あるビルの5階の事務所で会うのだが予定まで30分あった。同じビルの2階にあるトイザらスへ行って見た。

最近の子供たちはどんなおもちゃで遊んでいるのだろう、孫に買う時が来るかもしれない、じじい一人がおもちゃ売り場をうろついても怪しまれないだろう。「ああ、孫に何かおもちゃを買ってやるつもりなんだ」と思われるに違いない。

店の中に入って見たもののもう一つ面白みにかけている。じじいがおもちゃ屋ではしゃいでいたらそりゃおかしいだろうが、私が思うに小さな子供でもワクワクドキドキするような感じではないなあ。それぞれの商品は彩りは華やかでピカピカ光っている。けれどもパッケージされ整然と棚に並べられたおもちゃは単なる商品にしか見えないな。

スーパーで牛乳や卵を買うのとおんなじなんだな。牛乳や卵を買ってもそんなに嬉しくないのと同じようにトイザらスの棚から一つ取り上げてカゴに入れてレジへ持っていく流れだから。

おもちゃ屋という業態が衰勢なのは少子化だけが理由ではないな。


ブログを忘れていた

そういえばこういうブログを作っていたんだ。そういうことを忘れていた。本当に忘れていたわけではなくてブログに何か書くことを忘れていたというのが正しい言い方。

facebookとかTwitterとか実は両方やってるけれどもほとんど書き込みはしない。リードオンリーなんだ。彼らの世界に向かって発信する情報は持ち合わせてないし、発信する必要はないもんね。あんなネトウヨがうようよするメディアなんてさ、気持ち悪いよ。

ここは考えてみたら自分の世界なんだよね、自分の世界でありながら誰かの目に触れることを意識しているんだ。またここで色々書いていくかな、などと暑い夜にボーッと考えている。



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