2018年8月アーカイブ

ツイッターラインをつらつら見ていたら「日本という社会の同調圧力と自尊意識の低さ」というフレーズが目に止まった。気になるね、私も考え続けていることだ。

鴻上尚史が論じていた日本人の同調圧力の強さと自尊意識の低さについてのリツイートだった。

その元ネタはアエラ電子版の人生相談コラム(https://dot.asahi.com/dot/2018081000019.html)で鴻上尚史が答えている内容だ。

帰国子女を持つ母親が娘がクラスで浮いた存在になっている、どうしようというもの。その原因は娘の個性的な服装にあるらしい。

私は鴻上尚史はよく知らなかった。NHKのクールジャパン・日本すごいをテーマにした番組を司会している人程度の認識だった。
この質問に対する鴻上尚史の答えている内容は日本という社会の同調圧力の強さと自尊意識の低さについての考察とその対処法で、なるほどなと思った。

私には日本の社会において、どうしてこんなに同調圧力が強いのか身にしみて感じつつもそのよって来たる理由はわからなかったし今もわからない。鴻上尚史もその理由はわからないと言っているけど。

ただ私の経験上、学校教育の現場でそれを培い育てていることは知っている。学校が協調性の強要という同調圧力を生み自尊意識を失わせている原因なのだろうとは思っていた。

そういうことに思い至ったのも鴻上尚史のコラムを読んでのことなんだけれども。

学校で問題になっている「いじめ」とはまさに同調圧力と自尊意識の低さから生まれたものであるわけで、人生相談の母親の悩みの原因は学校という社会の存在そのものにある理屈はここにある。

しかも、同調圧力をかける側は自尊意識も低いので、知的にも道徳的にも美的にも自分たちのように低いレベルに合わせるベクトルで圧力をかける。

そりゃそうだ、上向きの圧力だったらそれはいじめではなくお互いの向上の励まし合いになるわけだから。

鴻上尚史は同調圧力が強くて自尊意識の低い日本の学校でどのように協調しつつ自尊心を失わないで生き抜いて行くかという一つの方法を提案している。

それはその同調圧力に正面から対抗するのではない。もし対抗しようとすれば圧倒的な多数の圧力で押し潰されてしまう。

鴻上尚史の提案は二つあって、一つは日本の公立学校を見限ること。アメリカンスクールとか自由を校風にしている私立学校に移るなどの方法。でもこの方法は経済的、地理的に限定される。

もう一つは同調圧力に合わせてしまうこと。つまり負けを認めて圧力に屈するのか。

そうではない、鴻上尚史はいう。大切なのは圧力に同調した時「負けた」とか「悔しい」とか「本当はそうじゃない」というようなネガティブな思いにならないこと、だと。

つまり同調圧力に合わせるのはこの社会で生き延びるために選んだ戦略の一つであると、こちらが選択したのだと思うことだと。

鴻上尚史の言い方は母親の悩みに沿うように語っているので私が要約したような言い方ではない。私が理解した範囲で書いたものと言っておこう。

しかし彼の文章で多くのことを考えることができた。

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熊野古道の記録

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先週、友人3人で熊野古道を歩いたので記録しておこう。


熊野古道歩き


8月13日、10時55分の新幹線に乗った。盆休みの最中なので混み合っているのではと心配したのだが通常の混み具合。もっとも選んだ列車はこだまだったからそれほどの混雑ではなかったのかもしれない。


13時に新大阪へ着いた。その10分後にはのぞみで横浜からT本氏がやってくる。


駅には大阪在住のT辺氏が自家用車で迎えにきてくれている。多少の行き違いはあったものの我々3人は合流しそのまま和歌山方面へつながる自動車専用道路へ入った。


大阪市内から和歌山あたりまでは渋滞もなく順調な運転であった。有田を過ぎたあたりから自動車道路は二車線になり車の進み方が遅くなった。急ぐ旅ではない、夕方までに田辺へ着けば良いのだ。


4時過ぎに田辺の町に着いた。ホテルにチェックインして一休みの後、次の日の行動について相談した。翌日、宿泊予定の旅館がある近露王子までどうやってたどり着くか、という相談だ。


一般的に熊野古道は田辺から20kmほど熊野山中に入った滝尻王子と言われているところから古道になり山道を熊野本宮まで歩いていく。このルートは中辺路と呼ばれている。

なんとか王子というのは熊野参道のチェックポイントの道しるべのようなものでお地蔵さんとか道祖神とか名も知れぬ神様の祠なんぞが点々とあってそれぞれに名前がついている。もっと歴史的に由緒あるような書き方をしている案内パンフレットもあるのだが、この説明でもいい。


案の候補は車を田辺に置いてバスで滝尻王子まで行くか、あるいは楽をするなら車で高原という集落まで行ってそこある駐車場に車を置いて、そこから歩くという2案。


それぞれに問題があって、バスで行くにしてもバスの時間を把握していない。

高原集落に行く場合そこに駐車場があるかわからない。


これはもう観光案内所で尋ねるしかない。ホテルを出て飲み屋を物色しながら案内所を探した。


時間は5時、紀伊田辺駅前に観光案内所があった。そこで熊野古道の地図をもらい、我々の問題点についての質問をした。


バスは朝6時半ごろ出る。もっと遅いのもあるけれどそれでは次の宿に間に合わない。高原という集落には無料駐車場がある。「高原霧の里休憩所」というらしい。


我々は迷わず「高原霧の里休憩所」に車を置いてそこから歩くという案を採用した。

明日は5時起きではなく6時に起きて7時に朝食、8時前には出発という予定が決まりすっかり安心した。


田辺の場末の居酒屋でビール、刺身、焼き鳥で夕食。その後田辺の歓楽街をうろうろして一番はずれのT本氏好みのスナックで軽く飲んだ。

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第一日目はこうして終わった。


8月14日、二日目、6時に起きて出発の準備、昨夜の酒が少し残っている感じがする。シャワーを浴びて気分を変える。

7時から朝食の時間、和定食をそそくさと食べ7時半には車に乗っていた。


心もとないナビゲーションシステムを頼りに熊野古道の途中にある「高原霧の里休憩所」を目指す。あまりにも無名な地名らしくナビには登録されていない。大雑把な観光地図を頼りに勘でその休憩所を目指す。


なんとか「高原霧の里休憩所」についた。

ところが様子がおかしい。駐車場の真ん中に構造物が据えられ、その周りで村人が作業をしている。我々のことを訝しげに見ている。


私は3人を代表して車を降りて村人に尋ねた。

「ここは駐車場ですよね」

「そうだよ」

「今から、停めても良いですか」

「良いけど、すぐに出てよ」

「えっ!どうして」

「今日は祭りで、これから人が集まるから、駐車はやめてもらってる」

「今夜このままここへ停めておく予定できたんですけど」

「そりゃもっとダメ。今夜はここで盆踊りがあるから、車は絶対ダメ」


なんということだ、ここまで来て駐車が駄目とは想定外というか計画が根本的に崩れる。しかも、彼らは滝尻王子まで戻ってそこから出直してこい、などと無茶な提案をしている。そんなことしたら、今日中には近露王子まではとても行けない。車で戻れば数十分だけれども、歩いてくれば3時間以上かかる距離なのだ。


「ここから歩く、予定だったんです。どこかに車を止めさせてもらえるところはないですかね」と懇願した。彼らにしてみても、公共の空間を盆踊りに占有しようとしているわけで多少の引け目があったのだろう。


「じゃあ、しゃあないな、カキモトのところへ止めてもらおうか、おい誰か案内してやれや」

「あ、ありがとうございます」


公共駐車場なのだから我々も停める権利はあるのだが、村の大事な祭り行事を邪魔して迷惑かけるものでもない。我々は車さえ停めさせてもらえばいいわけだから。

村の人に道から奥まったところにある廃屋の前庭を案内してもらった。そこに車を停め、我々は歩き支度を整え熊野古道に踏み出した。時間は朝の9時であった。


この高原の集落のメイン通路が熊野古道なのである。そしていきなり急な上り道が続いた。


私は熊野古道を甘くみていた。熊野古道って里山の山裾をうねうねと歩くハイキング感覚のルートだろうと。しかも俗化されていてなんだか所々にジュースの自動販売機でもあるのではないかと想像していた。


実際は山の尾根とまではいかない微妙な高さの山道を登ったり下ったりする山道だったのだ。そういうことならこちらもそういう気持ちで歩きますよと気持ちを引き締めて歩き続けるのだった。


だらだらと登るかと思うと少し下り、またきつい登りが続く。基本的には登っているらしいことはわかる。道の脇にあるなんとか王子の目印とか行政が立てたであろう道標であるとか、そういうものを見るとああ私は道を進んでいるのだなと思うことができるのだが、周りをみると同じような熊野の杉や桧の樹林である。


kumano_dohyo.jpgのサムネール画像


時計を見ると12時。そろそろ昼飯だな、と声をかける。今は斜面に造られた道を歩いている。休憩して握り飯を食べられないわけではないが、もう少し昼食休憩というイベントにふさわしい視界がひらけているとか、広場のような所とかないものかと探しながら歩き続ける。


ない。淡々と斜面の道が続く。違いは登っているか下がっているかだけ。結局、なんとか王子(それを忘れてしまった)のすぐそばの道の脇に座り込んで昼食をとることにした。都会だったら歩道に座り込んで物を食うような行為だ。誰もいないけど。


こうして数時間、一心不乱に歩いたおかげで牛馬童子というポイントについた。ここは新しく作られた自動車道と接するところで、自動車道に作られた道の駅が自動車旅行の人のみならず古道を歩く人々にとってもしばしの休憩の場所に違いない。


この段階で目的の近露王子まで30分の距離となっていた。ここでつい気を許してビールを飲んでしまった。しかも缶2本。

「ビールを飲むと、そのあと歩くのが辛いぞ」というまともな意見があったが。

「あと、30分休み休み行っても全然問題ない」という意見に賛同したのであった。


この休憩所で1時間休んだ、木陰のベンチで山の風に当たりながら。昼食もここで食べたかった。


道の駅を出発して、最後のひと登りの後、道の前が明るくひらけ遥か下方に集落が見える。道はずっと下っている。


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私は下り道が辛い。膝が痛むのだ。前をゆく二人はずんずん下っていく。私は石の段になった坂道を左足をかばいながら下りていく。

そうしてやっと、人里らしきところへ出た。今朝ズルズルと登っていま一気に下った

のだ。一山超えたかのようだ。


今夜の宿、近露王子の「月の家」は橋を渡ってすぐ、近露の集落のほぼ中央にあった。歴史を感じさせる佇まいの宿である。宿の主人に二階へ案内された。階段を登ると畳敷きの廊下があり、その左右に二部屋ずつあるつくり。南側の奥の8畳間に案内された。


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今夜の客は我々だけなのでどの部屋を使ってもういい言っていた。

風呂に入ってぼんやりして夕食。田舎料理と旅館料理が微妙に入り混じった食卓。ビールとともに完食。


食後、宿の主人に明日の行程を相談する。明日は本宮までの20kmを7?8時間歩かなければならない。少なくとも発心門王子までは歩かなくてはならない。そこから先はバスがあるにしても。

宿の主人は、朝早く出て朝の涼しいうちに距離を稼ぐことを提案した。そのためには6時に宿を出る。すると起床は5時になる。我々はその提案を受け入れた。


今夜は近露王子の集落でも盆踊りと花火の打ち上げがあるらしい。

花火が打ち上がる9時まで部屋でウイスキーを飲んで雑談。9時10分前に盆踊り会場へ行って見る。すると空からパラパラと雨が。浴衣で出てきた我々は慌てて部屋へ戻る。

雨はちょっと降っただけ。宿の大きな窓からすぐそばで打ち上げられる花火を見た。音は周りの山にこだまして重低音が胃に響いた。規模は小さいが迫力ある花火だった。


二日目はこうして終わった。


朝5時、人間は5時に起きると念じて寝ると起きられるものである。実際には4時55分。目覚ましを止めて周りの様子を伺う。まだ外は暗いようだ。

音が聞こえる、ああ雨の音だ。


5時半の早い朝食をとりながら今日はどうするか相談した。お気楽な古道歩きを実践していた我々は本格的な雨対策をしていない。しかも雨の中を7時間歩き続けるほどの気力も体力ない。


1日目に車を停めた高原の休憩所までバスで戻り、自家用車を確保してあとは車で移動という一番安易で現実的な策を取ることにした。


宿のすぐ横にあるバス停でバスを待った。雨は強くなったり弱くなったりを繰り返して降り続いている。6時40分になると雨に煙る道をバスがやってきた。乗り込んだのは5人。我々3人とやはり雨で歩くのを諦めたと思しき二人連れ。


車が置いてある高原の集落に一番近いバス停は栗栖川停留所。25分で着いた。昨日5時間近くかかって歩いた道のりはバスだと25分なのだ。


栗栖川バス停は国道にある。ここから山の中腹にある高原の集落まで登らなければならない。30分間続く坂道を黙々と登り続けた。30分後に視界がひらけ熊野古道にたどり着いた。


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あとは普通のドライブになった、服装はハイカーだが。こうして我々は熊野大社を参詣した。


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雨の神様の怒り

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数時間前、遠雷が聞こえてお湿りのような雨が降ったと書いた。その6時間後の今、轟く雷の音と稲光が凄まじい。雨は瓦を叩き、軒から流れ落ちる雨水は滝のごとしとは言わないが、十分な水量が予測できる。


県内には大雨注意報が出されたとテレビの画面にテロップが出ている。

これを見た時、私は天罰を受けたと思った。先の書き込みで私は雨の神様はまるで力がない、形式的な神であるようなことを言っていた。それを嘲笑うかのように、滝のような雨を降らせているのだ。
マンホール.JPG

表へ出てみると、家の前の道路には小さな流れができている。マンホールに溜まった水には雨が無数のミルククラウンを作っているのである。

ああごめんなさい、雨の神様、悪口言ってごめんなさい。

そう言いながら、マンホールの無数のミルククラウンを写真に収めようとしたのだが、スマホでは再現できなかった。

遠雷と打ち水

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暑さを避けて家の中を暗くして(日差しや熱気が入らないようにカーテンをしめている)ぼんやりしている時遠くの方で雷のような音。
この季節の夜ならばどこかで花火でも打ち上がっているのだろうと想像するのだが、暑さが盛りの午後2時である。
時間をおいて聞こえてくる。窓を開けて空を見上げる。雲は広がっているが強い日差しは相変わらずだ。北の方の雲が厚く色が濃い。あの辺りで雷が発生しているのだろうか。

数分おきに音はする。夕立ならばさーっと風が吹いてきて空がにわかに暗くなってザーッと降り出すのが普通だが、そういう気配はない。

30分ほど続いただろうか、少しづつ空が暗くなってきている。
気がつくと、地面が濡れていた。

打ち水の練習か。外に出るともう日差しが戻っていて微妙に濡れた地面から蒸気が上がって湿度はぐんと上がった。湿気で気持ち悪い不快感。

打ち水で涼を呼ぶなんて、誰かの幻想だろう。

骨董市へ行く

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妻が骨董に興味を持って久しい。

骨董的なものに関しては私の方が昔から興味があったし、井伏鱒二の「珍品堂主人」を読んでこんな風に趣味に生きられたらいいのになと若い頃から思っていたのである。
ところが私の骨董趣味というのは単なる薄っぺらい懐古趣味であることが自分でもわかっていつの間にか骨董的なものに興味を失ってしまった。

ところが妻は骨董的な趣味をどんどん追求して行ったのである。
家の調度は古い和箪笥になり食卓はアンティーク風なテーブルに壁には中世の宗教画がかかるようになっていた。

今やネットオークションで売り買いして趣味と実益を追求している。

近くの展示場で骨董市が開かれるので私は妻をそこまで送る運転手となり同行した。
体育館より少し広い会場に様々な骨董品、例えば陶器、絵画、掛け軸、古布、古道具などを売るブースが並んでいる。

骨董市と他のなんとか展示会とかなんとかバザールなどとの違いは売り手の熱心さの差だな。骨董市のブースの主人は売る気がない。というより客から声を掛けなければ絶対応対しない。

売主のいらないものを無理やり捌こうとしているような「如何ですか?」「いらっしゃませ?」「ただいまタイムセールです。今がチャンスです」などという、うるさくて定型的な声は全くない。

商品というのは、客の気持ちが動いて購入されるものなのだ。押し付けて売りつけるようなものではないのだよな。

骨董品を選ぶというのは自分の美意識に沿ったものかどうかを勘案しながら見定めていく作業なのだろうな。そういう客の心の動きに店主はじっと寄り添うのだ、きっと。

私は骨董品を見るのは楽しいんだけれどそういう趣味はないとしか言えない。祭の夜店の商品を眺めて楽しむタイプなのだ。


トイザらス

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久しぶりの友人と会うために出かけた。あるビルの5階の事務所で会うのだが予定まで30分あった。同じビルの2階にあるトイザらスへ行って見た。

最近の子供たちはどんなおもちゃで遊んでいるのだろう、孫に買う時が来るかもしれない、じじい一人がおもちゃ売り場をうろついても怪しまれないだろう。「ああ、孫に何かおもちゃを買ってやるつもりなんだ」と思われるに違いない。

店の中に入って見たもののもう一つ面白みにかけている。じじいがおもちゃ屋ではしゃいでいたらそりゃおかしいだろうが、私が思うに小さな子供でもワクワクドキドキするような感じではないなあ。それぞれの商品は彩りは華やかでピカピカ光っている。けれどもパッケージされ整然と棚に並べられたおもちゃは単なる商品にしか見えないな。

スーパーで牛乳や卵を買うのとおんなじなんだな。牛乳や卵を買ってもそんなに嬉しくないのと同じようにトイザらスの棚から一つ取り上げてカゴに入れてレジへ持っていく流れだから。

おもちゃ屋という業態が衰勢なのは少子化だけが理由ではないな。


ブログを忘れていた

そういえばこういうブログを作っていたんだ。そういうことを忘れていた。本当に忘れていたわけではなくてブログに何か書くことを忘れていたというのが正しい言い方。

facebookとかTwitterとか実は両方やってるけれどもほとんど書き込みはしない。リードオンリーなんだ。彼らの世界に向かって発信する情報は持ち合わせてないし、発信する必要はないもんね。あんなネトウヨがうようよするメディアなんてさ、気持ち悪いよ。

ここは考えてみたら自分の世界なんだよね、自分の世界でありながら誰かの目に触れることを意識しているんだ。またここで色々書いていくかな、などと暑い夜にボーッと考えている。



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