2000年7月アーカイブ

都市計画

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146.gif段ボールハウス

去年、新宿のションベン横丁で火事が有り、半分近く燃えてしまいました。 30年も前のことですが、何度か足を運んだことがあり、狭い路地の両脇に一間半程の間口を接して、めし屋が並んでいる異様に活気のある所でした。バブル期の地上げ攻勢にも怯む?ことなく、本来なら西口の一等地になっていたであろう所に、今まで戦後の闇市の面影を残してきたのですから、これは大したもんです。

僕が高校を出て、大衆食堂で飯を喰い始めた頃、建築学生のあいだでは都市計画が一番人気が有りました。戦後の焼跡に自然発生してしまった渾沌とした街並に対する反省、というのが背景に有ったからです。今では何所の市町村にも都市計画課なるものが存在するのは、その残滓なのでしょう。

都市の成立過程を無視した計画、再開発というのがあります。当時造られたニュータウンが未だにニュータウンでしかないといった所に、そこらの事情が窺えます。 大江健三郎は『遅れて来た青年』で、東京駅に入って来る若者が乗った夜行列車を、勃起したペニスに見立てて表現しました。何故人は都市に集まるのか、そして何処に居場所を見つけるのか。上野界隈に浅草、吉原、山谷が在る様に、天王寺界隈には新世界、飛田新地、釜が崎が在るのは偶然ではないのです。

計画経済が破綻したのは、実はそれが始まった時からだった事が、明らかにされています。 都市と経済が切り離せる訳がないのですから、泥臭い商売人、そして渾沌、猥雑が醸し出すダイナミズムを取り込む余裕を欠いた計画都市が、文化として定着するには、当初の意図が忘れ去られる程の年月を要することでしょう。 香港の九龍城を想わせる秋葉原の電気街は、誇ることの出来る文化都市なのです。


一家に5人も6人も子供がいるのは困ったもんだ、と云われていたのは、僕が小学校に行っている頃でした。社会の時間に先生が言っていたのを覚えています。40年前のことですけど。 中学校の時はブラジルに移民して行った同級生もいました。 今は出生率の低下、少子化が問題になっているのですね。小学校でも教えていることでしょう。 問題には違いありませんが、今の国力を維持していくには外国人に頼らざるをえない、とかこれからの高齢化社会をどう支えていくのか、といった論調に、適正な人口にコントロールしてやろうじゃないか、というメディアの思い上がりを感じ取るのは考え過ぎでしょうか。

産業界というものはそれなりに対応していくものです。今は余剰人員と業界内の過当競争に苦しんでいるのです。高炉メーカーが5社、自動車メーカーが10社、家電メーカーに至っては何社有るのか分からない、ましてや土建屋に至っては・・という状態に困っているのです。そこで働く人間だっておして知るべし...

集団の習性について『働き蟻のうち本当に働いているのは二割位のもので、あとの八割はウロウロ働いているふりをしているだけ… 働き者だけ集めて精鋭集団を作っても、やはり、そのうちの二割しか働かない。怠け者だけ集めると諦めて二割は働き出す』という話を森毅が書いています。一匹一匹識別出来るとは思えないので、怪し気な話ですが。

       つまるところ、今の労働人口の1/3になっても充分やっていけるのです。お茶汲みをしている女性の方が優秀なのです。彼女達が子育ての代わりに働くだけのことです。ましてや、高齢化社会は一時的な問題以外の何物でもありません。夏が来る度、水不足水不足と騒ぎ出し、台風一過黙ってしまうのと一緒です。そういえば、首都圏の水瓶とか言って干上がったダムを映すのは、今年もやるのでしょうか。

ライ麦畑

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71.gif隠遁生活

「ライ麦畑の迷路を抜けて」という本を読みました。 18の時、当時53のサリンジャーと同棲していたジョイス・メイナードという作家の本です。暴露本の様なタイトルですが、原題はもっとおとなしいものです。当事者の目の届かない所では、こんな風になってしまうのですね。 彼女はその当時、既に作家としてデビューしていたのですから、真面目な自叙伝です。赤裸々過ぎて、ちょっと読み進むのが辛くなるような本です。

隠遁した大作家は、NYタイムズの日曜版に掲載された、彼女の作品と写真を見て、お手紙を書くのですが、どちらが彼の気を引いたのか、解ってしまうのも辛いところです。 彼の作品の世界にいるのですね。隠遁生活と言うのは、変化を余儀無くされる現実との対峙を避けているのですから、そこらで停止していても不思議はありません。

50を過ぎて18位の女性と...永く続ける気がなければ、これはいい

一年もしない内に追い出された彼女は、その後3人の子供を育て、二十年以上経ってからこの本を執筆するのですが、取材のなかで「彼の所には何時も女がいたよ、よほど手紙を書くこつを心得ているんだろう」と、当時から彼の家に出入りしていた庭師に言われます。

ロリコンと片付けてしまっていいものかどうか。 実は日本の社会も、異常なまで女性に可愛さを求めているのではないでしょうか。 女優から企業の受付嬢まで、決して美しさが求められている訳ではありません。アイドル歌手がいい例です。テレビ局の女子アナは30代半ばになっても、可愛さを武器にして、恥じるところがありません。そんなのばかり採用して養成しているのでしょう。はたちを過ぎた女性が、自分の事を『女の子』などと言っている社会です。これは相当重症です。

欧米人から見ると幼稚園児がとても可愛く映るそうです。彼等は子供を早く自立させ、母親は女に返らなければならない。そこでエディプスコンプレックスがなるものが発生する。日本の社会では、母親がいつまでも子供を可愛がる。支配したがる・・と岸田秀は書いています。ちなみに、ライ麦畑でつかまえて・・のホールディンを、読後の感想として『自己不確実型精神病質者』と、書いていました。これは、精神病者のように人格が崩壊して狂っている訳ではないが、その一歩手前の状態、現実との関係で確固とした信念が欠けている...

『女は愛嬌・・』『冷たい美人』という言葉が示す様に、また、幼児性の発露そのものである、あの宴席の盛上がりが許されるのは、社会の伝統でもあるのです。


麦焦がし

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63.gifベランダ菜園

ドイツ人は世界中で一番粗食に耐えることの出来る民俗であり、ロシア人はどんな過酷な環境でも生活していくことが出来る、と云われています。シベリアで強制労働中に、氷河の中から完全な形で発見されたシーラカンスを、世紀の発見と世界中に打電されると思いきや、囚人達が食べてしまった、という逸話をソルジェニーツィンが紹介しています。(*シーラカンスじゃなかったかしら?)

今からちょうど100年前、河口慧海が鎖国中のチベットに入りました。単独で、2疋の羊に荷物を背負わせて、ヒマラヤを越えてしまうのですね。チベット旅行記の、疲労困憊のなかでの一節。麦焦がしの粉を出して腕の中に取り入れそれに雪と幾分かのバタを加えてうまい具合に捏ねるです。それからまた一方の腕には唐辛子と塩とを入れて置きまして、そうして一方の麦焦がしを雪とバタとでよく捏ねてその唐辛子の粉と塩とを付けて喰うのです。そのうまさ加減というものは実にどうも極楽世界の百味の飲食もこれには及ぶまい...。

朝は樹の実の乾したものを、昼にその麦焦がしを「随分大きな腕」に2杯でその日の食事は終い、というのが彼の日常の食事でもあり、チベットの坊主に感心されたりしているのですが、さらに、この地の麦焦がしは寒冷地に育ったせいか、なかなか力が強い、とひとくさり述べています。

スーパーで見つけました。麦焦がし。はったい粉のことなのですね。水で捏ねて、塩と唐辛子で... どんぶり2杯...   考えてみれば、ついこの間まで殺生を戒める仏教の社会で生活していたのですね。牛やブタを食べることなど、考えもしない生活をしていたのですから、彼のこの食事も、驚くほどのことでもなかったのかも知れません。

イスラム教はブタを、ヒンズー教は牛を食べないのを怪訝に思ってしまう程、私達は堕落してしまったのです。千年の食文化を打ち捨てておいて、無農薬の野菜だ、菜食主義だ、なんぞ笑止千万...と、ベランダに置いたプランターの、虫に喰つくされた菜っ葉に、困惑しながら考えるのでありました。今度、ホームレスが拾って来た弁当なんか食べているのを見かけたら、説教してやってください。

20.gif鳴き竜

上野の国立博物館に行った時のことです。パキスタンから寄贈された仏像は、インド系の顔をしていました。奈良の大仏の額のポチは、インド人が付けるアレだったのですね。中国、朝鮮、と渡って来るにつれ、だんだんふっくらとして来て、大仏の様になってしまいます。悟り=温和な表情=七福神のような顔をイメージするのでしょう。精力的にチベットの窮状を訴えているダライラマは、二の腕を捲り上げた大男で、修業僧の様な雰囲気はありません。これも、生まれながらの仏様だからいいのでしょう。

彼の住んでいたポタラ宮殿はすごい建物です。ロケーションも最高です。モンゴル帝国を檀家に持っていただけのことはあります。巡礼者が訪れるこのヒマラヤ一帯は、昔から強盗、追い剥ぎが出没することが知られていてシェルパ族に代表されるように、高所では無敵の体力を誇っています。河口慧海も2.3回被害に遇った時のもようを書き残しています。

巡礼者は遠くはモンゴルから、何ヶ月も掛けて徒歩で来ますから、全財産を身に付けていたりするのです。寝ている所を頭の上に石を落とされて、身ぐるみ持って行ってしまうのだそうです。鳥葬にする時、鳥が食べやすい様に切り刻んで、最後に頭を大きな石で潰すのですが、それなんですね。ルバング島から小野田さんを連れ帰って有名になった、鈴木規男さんが、雪男を捜すと言ってヒマラヤで消息を絶ちましたが、鳥に食べられてしまったのでしょうか。

この写真映りのいいポタラ宮殿は、下部は石造りで上部は木造になっています。過酷な天候と、地震の多いこの地で、良く耐えているとおもいます。日本の城の天守閣程の高さでしょうか。時代はもっと溯り、規模は大きな温泉旅館をおもわせます。イスラム寺院の壮大さ、華麗さ、完成度に比べると、ヨーロッパや、他のアジアの寺院は掘建て小屋だ、と誰かが書いていましたが、確かに壮大な掘建て小屋という感もします。しかし、モスクのドームの音響効果と、東照宮の鳴き竜ほどの差はないでしょう。