2000年10月アーカイブ

究極の失対事業

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ボランティアボランティア

収穫の秋、新米を少しいただきました。新米は貰い物に限ります。美味しい米は売りに出さず自分達で食べるからです。捕れた魚も同様で、どうも一番美味しいところを食べているのは、百姓や漁師なのではないでしょうか。 わが家では2キロも有ると2ヶ月くらい食べることができます。

農業に対する手厚い保護は国際価格を無視した米価や、宅地に比べたらタダのような相続税だけではありません。漁業に対する補償だって、何所を泳いでいるかわからない魚相手に、数字を計上してしまうのですから、元々いいかげんなところがあるのでしょう。

ロシア船籍のタンカーが日本海で座礁して重油が流出した事件で、ボランティアが駆けつけて回収作業をしている様子が報道されていましたが、動員された漁民の場合、補償金にきっちり計上されていたのではないでしょうか。 と、まあ米をいただいておいて、悪口を言っていたのではバチがあたるので、ちょっと弁護をしておきましょう。

田舎に帰って百姓でもやるか、とか、百姓は食べるだけなら何とかなる、という心の拠り所にどれだけ多くの人々が救われているか、考えなければいけません。 老後の生活設計をこれに頼っている場合も多いのです。 安い賃金で働く作業員も兼業で百姓をやっていたりするから生活が成り立っていたりして、北海道や東北等、冬の出稼ぎの場合、失業手当てを貰いながら働くことが認められているケースもあるくらいです。

邱永漢は香港の例をあげ、付加価値のない農業などはやめて全て輸入で賄えば良いではないか、と言っているのですが、ここには職の安定供給の視点が欠けています。人口が一億を超える都市国家が可能だとは思えませんし、皆がサラリーマンという社会の方が異常でしょう。

戦後の保守政権を支えて来た悪役は、当てにならない雇傭の下支えを担ってきたのは事実でしょうし、恩恵を被むる可能性のない人々が非難するのも当然です。

おばあさんっ子

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栗太郎栗太郎

民話の世界では、山のなかの老夫婦に育てられた子供が、歳を経てあっと驚く変身を遂げるお話がけっこう有ります。竹取り物語、桃太郎、一寸法師 ...  なぜか?

子供にお話をしてあげるのがお婆さんの仕事だったから、息子、あるいは娘夫婦を端折って、自分達の世界をつくってしまった。 娘が産んだ子を押し付けて、何処かにいってしまう例が多かった。 お爺さんが何処かでつくった子供を連れて来た。 自分の子供に夢を持てなくなった。 若い夫婦には、わけの分からない子供を拾って育てる物好きはいない。

子供の精神世界には空想家族というのが有って、例えば、今の両親は本当の親ではなく、実は高貴な家に生まれたのだが、わけ有って今の両親と一緒にいるのだ、といった夢想の世界で心の安定を得ようとしたりするのだそうですが、この辺に配慮した物語が子供達の支持を得て、生き残っているのかもしれません。

岸田秀は『倅 . 三島由紀夫』を引用しながら、彼の育った環境の異状を指摘しています。 生まれ落ちたときから、自己中心的で支配欲の強い祖母の枕元におかれ、授乳の時間も決められた4時間毎に、生みの親が階下に降りていって世話をするといった乳児期、病床に臥す祖母の薄暗い部屋で、男の子は危ないからといって、年長の女の子しか遊び相手に当てがわれなかった幼児期。

両親がいないという条件のもとで、このような祖母に育てられるのならともかく、祖母に口を出すことが出来ない両親が側に存在するという悪条件が重なると、一方への反抗は他方への迎合となる。つまり祖母を喜ばそうとすると両親は悲しそうな顔をし、両親を喜ばそうとすると祖母の機嫌を損ねる。さらに父母の間にも彼をめぐる競争から、ただ彼から愛されることを求めている三人の対立する大人に囲まれて育てられる結果となり、自己を築きあげる機会を逸して彼の精神は死んでしまったのではないか。

彼自身は人生を演じていたつもりであったかもしれないが、その背後に在るべき筈の自己はなく、自発的な感情がないが故に、観念的に決定した何かにすがらなければ一切が崩れてしまう、そんな生き方をせざるを得なかったのではないか、彼の人格構造は神経症者というよりは精神病者に近い、と論じているのですが。

フロイトも作家論をやっていて、D.H. ロレンスなども神の高見から何を言うか、と噛みついています。作家にとって、作品と生い立ちから精神分析されるのは身も蓋もなく、つらいものがあるようです。

家事、親父

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巣

炊事、洗濯、掃除だけが家事ではありません。 子育て、近所つき合い、年寄りの世話から家計のやり繰りまで、家事という言葉で片付けられてしまうのですから、これはたまらん、どっかで手抜きをしなくてはやってられません。 男一人の所帯のやり繰りをしている私の場合、上の列まで、下の列は家計のやり繰りを別にして、手を挙げるしかないのが現状です。

アメリカのコラムニスト、マイク・マグレディが妻と役割を交代して書いた『主夫と生活』の中では、子育てに音を上げています。子供の歯医者の順番取にいったり、送り迎えをしたり、独りなら何ということもない洗濯も、アイロンを掛けて仕分けをする段になって、二人の子供の着る物の区別がつかなくて、夜中になってしまったり...

ブラジルのサッカー選手はメードを連れて来るそうです。 シンガポールや香港でもフィリピンから随分出稼ぎに行っています。 ロビンソン・クルーソーは無人島で、追われていた原住民?を助けて召使にします。話し相手に事欠く無人島で、友人ではなく召使なのです。

漱石の作品には必ずお手伝いや書生が登場するところをみると、つい最近の現象なのですね 使用人が家庭から姿を消してしまったのは。 戦後の社会では皆サラリーマンになってしまって、いわば使用人だらけ、使用人が使用人を雇う余裕があるわけがない、というのが其の理由でしょうか。 また、経営者もセコくなって、経費で落とせる使用人、お抱え運転手、使用人のような社員で済ませてしまっているのでしょう。

同業者でなかなか営業上手な社長さんがいるのですが、前の会社のサラリーマン時代、同族経営の兄弟が皆妾を囲っていて、俺はそのうちの4人の妾の世話をしていたけど、電話で呼び出されて行くと、犬を散歩に連れていけとか、ろくな用事じゃないんだよなあ、としみじみ語っていました。

そんな訳で家事労働に対する評価が変わって来ています。定年退職して何も出来ない男は、圧倒的に不利な立場に追いやられます。夫に先立たれたお婆さんがやれやれだわ、と言っている現実があるのです。まあ女性の独り暮らしでも、炊事、洗濯、掃除くらいやらなければならないので、ちょっと割り引かなくてはならないと思いますが。

博打の経済効果

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ボーズボーズ

一般消費の伸びがもう一つ、とあいも変わらず呑気なことを言っていますが、冷え込んだ消費を回復させるには、ギャンブルを奨励するのが一番手っとり早いことくらい、ばくち打ちなら皆知っています。

賭場に出掛けるばくち打ちは、持って行った金は諦めていますから、例え元を引いて帰ってきても、儲かった気がして使ってしまうものなのです。勝てば勝ったで気が大きくなって使ってしまうし、負けても元金はどこかに回るわけですから、博打をやっている限り金の回りは極めて速いものになるのです。

といって、公営ギャンブルを推奨しているのではありません。 景気の悪い時はギャンブルが流行る、と言っていたのが昔話になってしまったかのように、地方競馬や競輪場のなかには廃れてしまって、赤字になっている自治体もある有り様です。 安部譲二も言っているように、そもそも、お上のやる仕事ではないのです。あんな懲罰的なテラ銭を取っていたのでは、胴元の独り勝ちで、おけらになった客は帰ってきません。10パーセントが上限でしょう。永年のツケが回って来ただけの話です。

ここはいっそのこと、ヤクザ、堅気を問わず、民間に解放してしまうべきなのです。 カジノOK、花札、チンチロリン、野球賭博、闘鶏、闘犬、ノミ行為、私設宝くじまでインターネットを使って何でも有りにしてしまえば、競争原理が働いてテラ銭も安くなり、未曾有の消費社会になること請け合いです。

夜の街は彼方此方で賭場が開かれていて... 治安は悪くなるでしょうが、それを取り締るのが官の仕事です。そもそも博打を非合法にしたのは、お上がテラ銭を独占しようと画策したからに他ありません。国営企業は政府が経済をコントロール出来ると考えていた時代の遺物なのです。

美濃部都知事が公営ギャンブルを廃止したのは、いまだ博打打ちのあいだでは評判が宜しくないようです。しかし彼がやろうとしたのは、法外なテラ銭を取る公営ギャンブルの廃止であったとすると、これはなかなか先見の明があったのではないでしょうか。 後は規制の撤廃です。石原都知事に期待しましょう。

穴蔵

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地下生活地下生活

引退したジャンボ機を改造して住宅に使っているアメリカの映像がありました。なかなかの広さでこれは良さそうです。そこで土地の広さに制約が有る日本で、潜水艦を埋めて地下室にしてはどうかと考えているのですが、船の生活と地下の生活が同時に味わえて、これは我ながらいいアイデアだと思っています。問題はそのような出物があるとは思えない点で、ここは妥協して漁船でもいいのですが、ちょっと臭いが気になるかもしれません。

昔の船の内装はチーク材やオーク材がふんだんに使われていて、豪華なものでした。今でも鉄骨やコンクリートの建物のような、ちょっと勝手の違う内装の大工はこの流れを汲んでいます。船ですから地下水は問題ないとして、生活排水の処理はちょっと考えなければなりません。下水道へ勾配が取れるとは限らないし、ポンプアップに頼り過ぎると、配管からの思わぬ漏水が周りを取り囲んで、悪臭に悩まされることになるからです。

先人は地下水の処理には随分苦労していました。炭坑に何故、お月様が煙たがるような高い煙突が必要だったのか、それは坑夫が入る風呂の煙突ではありません。蒸気機関で地下水を揚げていたのです。それ以前は佐渡の金山の様に水替え人足の仕事です。

穴蔵が土蔵と対になる言葉だというのを、民俗学者の小沢詠美子氏の一文で知りました。ただの薄暗い穴、股ぐらとか、そういった言葉だと思っていたのですが、床下に穴を掘って造った蔵のことだったのですね。江戸時代の商家などに造られ、防水にはやはり苦労してますが、火災に対しては土蔵より有効だったそうです。

当時の火災は今なら山火事のようなもので、桶で水を掛けるしか、打つ手がなかったのですから、どこかで火事が発生すると、穴蔵に大事な物をしまって避難したのです。

東京オリンピックまでは、台風が来る度に床下浸水は当たり前だったので、水害の被害のある所では地下室というのは考えなかったのでしょうが、最近は警戒をしなくなり、水没したビルの地下室に閉じ込められて、死亡する事故が2件有りました。一般住宅も含めて地下の有効利用という方向にあっただけに、意外な盲点に驚いたほどです。いかに地下水を処理するかが問題であって、周りの道路の排水が、機能しなくなることまで考慮して設計することはないからです。

そんな有事の時に威力を発揮するのが、この船を埋め込んだ地下室なのですが、上手く浮かび上がるとして...
ガッツポーズガッツポーズ

オリンピックの疾しいところは、各国の代表を競わせるという、ナショナリズムを利用して興行師が商売しているところでしょう。 格闘技のK1が世界中を熱狂させる大会になったとして、主催者が当然のように既得権益を守りにかかったところで、別に非難されることもないでしょう。 障壁を設けて自分達の利益を確保しようとする団体を再配分連盟といいます。医師や弁護士のような団体がこれにあたります。

IOCでは各国を代表している委員が、いつの間にか個人の資格で終身会員になってしまいます。これは、かつての後ろ楯がとっくの昔に失脚していたり、消滅していても居座っていることが出来るとても都合の良い規約で、実際、会長のサマランチはフランコ時代のスペインの代表であり、他にも旧ソ連や東欧の、今では実体のなくなってしまった政権の代表が一杯いるのだと、しかも、当時の主流を外れた二流の政治家ばかりだと、『黒い輪』で詳しく述べられています。

競艇の笹川一族は、公営ギャンブルという制約のなかで、周辺事業を独占することで成功を収めました。IOCやワールドカップを主催するFIFAの周辺には、アディダスとISLというスポーツ広告代理店がいます。ホルスト・ダスラーという人物が双方の経営者で、ISLはオリンピック、ワールドカップ、世界陸上選手権の独占的な代理店なのだそうです。

お金について語るのは、何故か性について語るのと同様の戸惑いがあるようだ、とフロイドがいっています。世界陸上選手権は賞金レースを全面に打出して成功しました。日本の新聞社が主催するマラソンは、招待選手の出場料や賞金に関して、沈黙しなければならない理由があるとは思えないのですが、情報開示を拒む、なにか独自の美意識を持っているのでしょう。

小学校の運動会で白い運動足袋を履いた記憶があります。何故か、運動会のシーズンにしか目にする機会のなかった不思議な履物、あれはいったい何所にいってしまったのでしょう。 伊東浩司がアジア大会の100メートルで優勝が決まった瞬間、シューズを脱いで高々と掲げたシーンは、日本の陸上界にとって画期的な出来事でした。スキーのジャンプでインタビューを受ける前に、スキーを立ててパッと雪を払う仕草に慣らされた目にも、びっくりした関係者が一杯いたのではないでしょうか。