2001年8月アーカイブ

国 士

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〓画像パス〓船舶振興会

ペルーのフジモリ元大統領が日本に長期滞在しています。これは亡命というのでしょう。一国の大統領を務めた人物が、実は日本国籍も持っていた、というのも変な話ですね。 二重国籍を認めていたのですね、日本も。

当初、身を隠していたのが曾野綾子さんの別荘だったので、その意外性が話題になりました。作家曾野綾子、と言うから意外なのであって、匿っていたのが笹川良一氏だったなら、うーん、となんとなく納得するのではないでしょうか。 船舶振興会が、日本財団と名前を変えてから、彼女が会長なのですね。

なんせ、競艇の売上げの3%入ってくるのですから、お金持ちなのです。 右翼団体の看板を掲げる暴力団に対して、正統右翼がなぜ毅然とした態度をとらないのか、かねがね不思議に思っていたのですが、どうも戦後の苦しいときに助けてもらったりして、協力関係が出来てしまったからではないか、という話しです。

右傾化していく過程では、それなりに発言力が増すことがあっても、いざ戦争となると、この手の団体は疎んじられ、遠避けられる運命にあるのは、どこの国でも同じだそうです。軍の急進派がもっと過激なことをやってしまうのですね。児玉譽士夫のように、軍の特務機関として取り入り、一財産持ち帰って戦後政治の裏舞台に君臨する、なんていうのは特異な例なのだそうです。

そんな状況のなかで、誰もが羨む商売を確立してしまったのですから、これは凄い。

日本政府は亡命者に対して極めて冷たい、とかつての台湾から逃れてきた邱永漢氏がぼやいていました。命に係わる亡命先の選定で事実、天安門事件の指導者は日本には誰もこなかった。フランスやアメリカの受入れ態度とえらい違いなんですね。

戦前は、列強国としてのプライドもあったのでしょう、中国や朝鮮、インドの政府に追われた人物や、白系ロシア人なんかがけっこういました。 政府が認めていなくても、ちゃんと世話をする人物がいたのであり、それが右翼といわれる国士然とした人々であったりするわけです。

ペルー政府から引き渡しの圧力が増して、日本政府が持ちこたえられなくなると、もう一度出番がまわってくるわけですが、はたしてどんな手を打てるのか、正念場でしょう。

けん引車

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〓画像パス〓だるま

見ている時には簡単にみえても、実際にやってみて、あれ!こんな筈じゃなかった、とびっくりすることがあります。例えばトレーラーの後進。 免許の関係で運転する機会が少ないのですが、ボートや水上バイクをけん引車に乗せて走る場合、キャンピングカーをけん引する場合、車庫に入れる時とか、スタンドで給油する時、バックをしなければならない場合があるわけで、これがやってみると難しい。

ハンドル操作が逆になるのですね。車のケツでけん引車を押すのだ、ということを理解していないと、いつまでたってもゲクゲクと逆の方に向いてしまい、しょうがないので、車から外して手で押すはめになります。 アメリカの年金生活者がキャラバン隊を組んで、キャンピングカーでパナマまで行くのをテレビでやっていましたが、これがうまいのです。サイドミラーを見ながらちゃんとバックしてました。

もう一つ、病院なんかで床を磨いているときに見かけるフロアーポリッシャー。 丸いブラシがクルクル廻っているやつ。クルクルまわるブラシは車のように勝手な方向に走り出し、とても制御できるものではないのです。 あれがあれば随分楽だなー、と思うことが有るのですが。

現場の引き渡し前によごれた舗装面を洗おうと思って、リース屋からワイヤーブラシの付いたやつを取り寄せてやってみたのですが、暴れまわって手おえないという連絡があり、再度、精鋭2名が挑戦したのですが、スイッチを切ることも出来なくて、コンセントを引っこ抜くのがやっとというありさまでした。 リース屋にこんなもん使えるわけねーだろ、と文句言ってやったら、あれは難しいんですよねー、ちゃんと操作出来る人が居るのかと思った、とゆーとった。

馬に乗るとか、一輪車に乗るという場合なら警戒するのですが、人がこともなげにやっているのを見ると、勘違いしてしまうのですね。 自転車に乗るのも、泳ぐのも、子供の頃からそれなりに苦労して身につけた技術なのだ、ということでしょう。

中央公論

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〓画像パス〓テロ

経営不振から中央公論が読売の傘下にはいるというニュースがありました。 戦前の警察官僚だった正力松太郎の読売、プロ野球界の独裁者ナベツネが社長をしている読売なのですから、年輩の知識人には感慨深いものがあるのではないでしょうか。

戦後の中央公論と言えば風流夢譚事件。 掲載されてからの騒ぎと、テロ、そして後始末。 当時編集次長をしていた京谷秀夫『一九六一年冬』を読みました。

60年10月社会党の淺沼委員長が刺殺され、11月の中央公論に掲載された深沢七郎の風流夢譚と、12月に文学界に掲載された大江健三郎のセブンティーンが、右翼の抗議に晒されるなかで、翌年2月、中央公論社の嶋中社長邸が襲われて、お手伝いさんが刺殺され、夫人が重傷を負う、という事件の当事者の証言です。

日米安全保証条約が自然成立したのが60年6月のことですから、騒然とした1年だったのですが、岸内閣の手段を選ばぬ方針が、戦中、戦後、低迷していた右翼勢力の息を吹返させたのではないか、といわれています。

当時の知識人に支持されていた岩波書店の『世界』は筋金入りの左翼代弁誌であり、2番手の中央公論の商業的なところ、その曖昧さが右翼につけ込まれたのではないか、そして、事後処理を社長が第三者に仲介を頼み、どうも密室でおこなわれた形跡がある、これがテロに屈して惨めな敗北に至った理由ではないか、と京谷氏は分析しています。

当時、週刊紙で失敗し、経営的にも苦しくなっていて、仲介に入ったのが広告代理店の経営者であったりして、経済的な締め付けも臭わせているのですが、あれから40年持ちこたえた挙句の身売り、といったところでしょうか。

60年12月号の中央公論には『風流夢譚』が、61年2月号の文学界にはセブンティーンの続編『政治少年死す』が、単行本にもならず、全集にも収録されることなく眠っています。古本屋に間違って出てこないかな、と思っているのですが。

蕎麦湯

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〓画像パス〓蕎麦

蕎麦湯というのを知ったのは、学生の頃、友人とそば屋に入って注文した蕎麦がきた時に、横に置かれた4合くらいの徳利を見て、「おまえ熱燗たのんだ?」と怪訝な顔をしながら聞いたら、店のおねえさんが教えてくれたのが最初です。

それから三十数年、仕事の打合わせをした人に誘われて、一緒にそばを喰った時、彼はつゆをぺっと灰皿にあけ、蕎麦湯を注いで、「旨いですよ、どーぞ、どーぞ」と勧められたことがあったのですが、あれは困った。 「おーい、蕎麦湯呑むコップくれ!」と向こうの方で客が叫んでいるのを聞いたこともあります。

そばとかラーメンの類いは好き好きで、人が旨いといったところで、あてにならないと思ってはいますが、そばの繋ぎの小麦粉の溶けたドロドロのお湯をその儘呑む気にはなれないなあ。あれはかけ蕎麦なんかに比べて、もひとつもの足らないと、誰かが考えたものなのでしょう。 冷やし中華を食べたあと、ラーメンをゆでたラーメン湯を注いで呑むとか、ごはんを食べたあと、米のとぎ汁をそそいで...

蕎麦湯のみ放題!なんてサービスがあったりして。 でも、そば焼酎の蕎麦湯割りというのを出す店があって、これはなんとなくいけそうでした。

ところで、そばを茹でるとき、吹きこぼれそうになったら水をさす、というのは、火の調整ができなかった、かまどの時の習慣だそうで、コシがどうのこうの、と言うのは後でつけた理屈のようです。

ヤナ漁

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〓画像パス〓やな

知人の実家がヤナ場を造って商売しているというので、観に行ったことがあります。 栃木の山のなかで、那珂川の上流だったのですが、観光コースになっているのでしょう、随分大きなドライブインといった感じで、川を観てさらにビックリ、向こう岸まで100メートルもあったでしょうか、川幅いっぱい石を掻き揚げてせき止めてありました。 もちろん1ケ所だけ開いていて、そこにヨシズを張ったようなステージがあって、掛かった鮎を拾うのです。

想像していたものより遥かに大掛かりな仕掛に圧倒されて、店の中でビールを飲みながら、鮎の塩焼きや、みそ焼きをよばれたのですが、向こうの方でユンボを使って堰の補強をしていました。 大雨が降って増水すると、テーブルや諸々の商売道具を船に積んで、それが浮くのを待って、曵いて避難するのだそうです。

そういえば、河川敷のゴルフ場では、大雨でコースが水没すると、水が引き始めるのを数日待って、顔を出し始めた高い所から、ポンプを使って堆積した土砂やゴミを、引き始めた川の方に洗い流すのだそうです。 これはもう昼も夜もなく待ったなしで、取り残されてしまうと大変な目に合うのは想像がつきます。

アウトドア商品がホームセンターに溢れていますが、去年、川の中洲でキャンプをしていて、増水した川に流されたり、取り残されて救助されたり、という事件がありました。 子供の頃から、中洲や沢はいつ水かさが増えるか判らないので気を付けましょう、と言っていましたが、人も蚊もあまりいなくて、良い場所だと思ったのでしょうか。

鹿嶋港というのはケーソンを並べて掘り込んだ、人工の港なのですが、このケーソンの先端までは4.5キロあって、いままで五十数名の釣り人が波に呑まれて死んでいます。 入口のゲートにそう書かれているのですが、年々その数字を更新するだけです。 船で沖に出たのと一緒で良く釣れるのだそうです。保安署の巡視船が時々廻って追い出していますが、イタチごっこで、「隠れたって分っているんだから出て行きなさい!」ってやっています。

波は急に大きくなるのだそうです。いったんケーソンが波を被ると、元々コケのようなものが表面を覆っているのでツルツルになってしまい、10センチもザーッと流れると、とても踏ん張っていられないですよ、とサルベージの専門家が言っていました。 彼等は港に沈んだ土左衛門の捜索を依頼されるのです。それでも見つからないと、ダイビングクラブに依頼がきたりするんだよ、と貝を持ってきてくれる友人が言っていました。

体育学

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〓画像パス〓給水所

スポーツ選手が生活していくのはなかなか大変なようです。プロとしてやっていける種目は限られているうえに、かつての実業団のチームも次々と廃部の憂目にあっています。 大学に残って、研究者として競技生活を続けていくことが出来る人も稀にはいますが、これは非常に恵まれたケースなのでしょう。

大学の一般教養では何故か体育が必修科目になっていて、出席するのが億劫なばかりに、単位を落とし続ける友人もいましたが、考えてみると、競技生活を終えた教員が指導にあたっていたりして、随分ぜいたくな授業だったのではないでしょうか。 レスリングの元オリンピック選手が担任だったりして、一度だけグレコローマンスタイルのレスリングを教えてくれました。皆プロレスくらいしか観たことがなかったのですが、けっこう面白くて好評でした。ちびっこ○○スクールのノリだな、あれは。

その先生が今では文学部の教授に収まっています。他に所属する学部がないのでしょう。たった一つの体育学の教授の座に上り詰めるのは、格闘技系が有利だったというわけでもないのでしょうが。 体育学概論なんて教科書が目に浮かんできますが、どんな研究をしてきたのでしょう。  体で覚えた技術を言葉で表現するのが難しいのは、ゴルフのレッスン書をいくら読んでも上手くならないことからも理解できます。

同じことを言っているのでしょうが、言葉一つで受ける感じも変わります。クラブを立てて下ろすなんて言い方、昔は使わなかったのに、今では野球の解説者まで使います。 バッティングの軸がしっかりしている、なんて言ったりすると、レッスン書を読んで、ゴルフに励んでいる姿が目に浮かびます。

図書館のスポーツコーナーで、ドーピング関係の本を捜しても見つかりません。 スポーツ医学とか、栄養学の行き着くところはこの辺だとおもうのですが、本腰を入れて研究している人がいないのでしょう。 遅ればせながら、根性主義からメンタルトレーニングに移行しているようではありますが。

ガマのあぶら

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〓画像パス〓絵

つくば学園都市ができてもう30年経つのではないでしょうか。 東京教育大学が移転してつくば大学になるときに、随分激しい反対運動があったのを思い出しました。官主導の大学など許せない、という主旨だったと思うのですが、OBの池田理代子さんが、筑波大なんかに入る学生と口をきく気にもなれないと発言したりして、そこまで言わなくても...と思ったものですが。

各省庁の研究所ばかりが目につくこの街で、つくば大学はその中心地に位地はしていますが、まちの中核をなしているわけではないのです。 どれがどの省庁に属しているのか分らないほどいっぱいあります。民間もあわせて約50の研究機関があるそうです。各々が広大な敷地を持っていて、宇宙開発事業団の敷地は53万?といいますから、この地形なら18ホールのゴルフ場ができる広さです。

ナショナル研究所の研究者だらけの妙な街なので、小学校なんか父母が高学歴の博士みたいなのがいっぱいいて、教師にとって、いい環境とは言えないようです。 『へき地手当てを勝ちとろう』という、組合のビラらしきものが研究所の柵の外側に張ってあるのを見たことがあります。まさか、へき地の地元住民に向けたスローガンではなかったと思うのですが、そんな街です。 バスで土浦に出て常磐線に乗らなければ東京にいけないのが屈辱だったのでしょう。

基礎研究の分野をリードしてきた欧米、特にアメリカの軍事技術の研究に負うことの多かったこの分野は、民間の研究では困難なところがあり、しかしいつまでもタダ乗りという訳にもいかんだろう、という主旨で出来た街なのですが、マスタープランはそこまでで、たとえば建設省の土木研究所と建築研究所が、道路を隔ててガッチリ柵で囲われていたりして、予算がつくからというので便乗して、省庁間の面子でつくったのではないか、と思われる施設が一杯あるのです。

官主導の研究が、ヒトゲノムの解明ではあっさりと個人のベンチャー企業に成果をさらわれてしまうところをみると、効率の悪さは否定できないでしょう。 バックに控えている筑波山は関東の名山で、かつては修験者が跋扈していたのですが、今では『観光ガマ園』なるものがあって、薬事法に違反してるんじゃないかと思われる、ガマの油の叩き売りの口上を保存しています