2001年10月アーカイブ

財テクの失敗

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〓画像パス〓リスク

ジャンボ尾崎が自宅を取られてしまうんじゃないか、なんて言われています。奥さんが財テクに失敗して多額の借金が出来ちゃった、と言うのですが。 藤田まことの場合も奥さんが矢面に出てしまいました。でもなぁ、奥さんの名義でやった商売が失敗した、ということなんだと思うがな。

江川や桑田も失敗して借金に苦しんでいるそうです。 人もうらやむ本業の収入がありながら、現役から退いた時の不安がそうさせるのか、千昌夫にでも憧れていたのか。 金がある所に儲け話しが持ち込まれるという事実はあるでしょうが、借金するまでのめり込むかね。

金がダブついていた時、そそのかしたのは銀行でした。担保はしっかり確保してたけど、その担保の土地や株の価値が目減りして、一旦精算してくれないと次の融資は出来ない、と言っているのが銀行で、無いもんは払えん、担保持って行きゃいいだろうが、と開き直ってしまうと、繋ぎの融資も受けられない、で金利と、担保の目減り分をちょっとずつ返すということで、なんとかやっているのが世間一般の企業です。

節税のために借金をする、という経営手法をとっていた企業が多かったなか、トヨタのような無借金の企業が勝ち組、借金漬けのニッサンが負け組。 銀行の融資話にのった金持ちが負け組で、蚊帳の外にいた貧乏人が勝ち組、な訳ないか。

金がなくても先もの取引きの営業マンが電話をかけてきたりします。小豆相場とか、香港の先ものとか、気軽に応じると20数倍の買物の手付け金だったりするわけで、借金してバクチをするのが苦にならない人には良いかも知れませんが、サラ銀も利用したことのない小心な貧乏人には無縁な話です。

クレジットカードで破産するという、信じられないような人もいます。 物を買うのが好きな人、というのがいるのです。子供が駄々こねるみたいに、欲しくなったら辛抱できない人。 財テクで失敗した有名どころも、けっこうこのての性格が禍いしているのかもしれません。

ごみ

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〓画像パス〓ごみだし

肩を寄せあって収集車が来るのを待つゴミ袋。 単独でポツリと置かれている場合は出す日を間違えたのでしょう。

リサイクル法が施行されて、電化製品は電器屋経由でしか引き取ってもらえなくなってしまいました。そこらに捨てると逮捕されたりするので、山の中の粗大ゴミや、ナンバープレートを外した放置車が心無しか減ったような気がします。 車をポンコツ屋に持って行くと、廃車手続き費として一万円取られたりするようになってから、随分捨ててあったものな。

スクラップ屋でアルバイトしたことがあるという職人の話しですが、引き取った車は先ず燃料を抜く。これがドラム缶に溜めてあって、ばかにならない、自分ちで使う分くらいはあるだろう。次にシートを剥がすと小銭が落ちている。アルバイトには絶対シートを触らせなかったなぁ、といってました。

高速道路のサービスエリアのゴミ箱に『生活ゴミを捨てないで下さい』なんて張紙を見たことがあります。駅のゴミ箱でも同様の被害に遇っているようです。 御近所の目の届かない所では、何をやるかわかったのではありません。家族ぐるみで。

バラバラ死体の一部を捨てて行った事件もありました。 死体の処置には皆困っているようです。死体遺棄というのはゴミの不法投棄より罪が重いのです。

どでーッと捨てられて困っているのは、鉄道の線路なのじゃないでしょうか。 廃線の憂目にあった鉄道の、延々と続く細長い土地とバラス、枕木、レール。 地域住民の反対があってもすてちゃうもんね。 高校のとき、一日二回しか列車が通らないという踏切りに、バイクで突っ込んで死んだ先輩がいました。

机上のルポ

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〓画像パス〓盗人

どうせ皆、本当の北朝鮮に触れることなく、資料を集めて書いているのだからと断って、北朝鮮のツアーに参加しただけで書いた橋爪大三郎の『こんなに困った北朝鮮』、断っているだけあってつまんない本でした。 いまさら『けしからん』だけで、一冊の本を書くかなあ。

この手の本は、亡命者自身が、あるいは亡命者の証言をもとに書いた物、平壌放送や映像、公式の声明の微妙な変化をウォッチングした研究に基づく物、北に帰国した人達の影を引きずる総連系の人々の不協和音に取材した物などがあるのですが、こういった本を読んだだけで、読者の感想文のような本を書いてしまうジャーナリストがいるのも驚きです。

落合信彦が『石油戦争』で書いたことは、で、アンソニー・サンプソンの『セブンシスターズ』とどう違うんだ、という感じだもんな。 彼は北朝鮮本も書いていて、一応、亡命者にインタビューもしていたけど...

ベルリンの壁が崩壊して、秘密警察の密告者の記録が、情報公開によって話題になりましたが、ドイツ文学者の桑原草子『シュタージの犯罪』なんて、現地の新聞と雑誌の記事の抜粋だけ、日本の新聞にも載っていた目新しい所が一つも無い、本人が温めていた疑問を解くでもない、原文で先に読んだだけといった本でした。

ソ連の機密文書が公開されたとき、野坂参三の記録を追った『闇の男、野坂参三の百年』とか、岡田嘉子の空白の10年を追った中央公論に載った記事なんかあったのですが、現地でスタッフを雇って膨大な公開資料のなかから、目指す資料を捜すという努力をしていました。ずっと前から、この情報が公開されるのを待っていた、という感じが伝わってくる記事でしたが。

本を書くのは所詮デスクワークとはいえ、その書き方には、やじ馬から研究者ほどの差があるようです。

トラップ

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〓画像パス〓toto

toto はサッカーくじで、ToTo は便器の上に描いてあるメーカーの商標です。 toto で破産する人はいないでしょうが、八百長試合とか補助金を巡る汚職とか、暗いニュースが流れるようになると、商標侵害で訴えられるかもしれません。

13試合の勝ち、負け、引分けを当てるのですから、3の13乗1,594,323通りの結果が出る、という計算でいいんだよね。100円総流しで1億6千万円弱費やすことになって、1億円の他、2等3等の賞金を加えても、まあ損することになるでしょう。

おまけに、1枚で最高9600円しか買えないので、16000枚もマークシートに記入しなければならず、もれなく記入するにはどうしたら良いのか解らないので、だれもやる人はいない筈です。

ところで、ToTo のような衛生器具には水封弁が付いています。 トラップというのですが、水洗便器の水の溜まった所、手洗い器の下の配管でS 字が横になったような所、溜まった水が下水管からの臭いの逆流と、虫が上がって来るのを防ぐ仕掛になっているのです。 色んな形の物があるのですが、基本的には水を溜めて臭いをシャットアウトする。

風呂の洗い場の目皿の下にも当然トラップがあります。カップを伏せたような所がそれなのですが、カップの淵が水没していて初めて機能を発揮します。 ところが、信じられないことに、このカップを捨ててしまう奴がいるのです。社宅に暮らして20 数年、3 箇所の風呂を使ったのですが、そのうち2 箇所がなかったもんな。

髪の毛が詰まって流れにくくなるうえに、毛細管現象で溜まった水が枯れてしまうので、こまめに掃除をしなければならない所なのですが、だれもやる筈のないことをやって、さぞかし快適な生活ができたことでしょう。

成金

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〓画像パス〓と金

バブルの頃の話しですが、我々3K 職場といわれる建設業界からも、それなりに成金が誕生しました。身近なところで型枠大工の親方がそうです。 勿論、それまでの信用に基づく営業力と、職人の動員力、自前の資材を持って商売している、という条件を満たしていなければならなかったのですが。

型枠大工というのは、コンクリートを流し込む型をコンパネ出で作り、その打設中の圧に耐えるよう、パイプ、セパ、フォームタイ、サポート、角材を使って、支保工と言われる物を作るのが仕事です。以前は元請け会社がこれらの資材を支給していましたが、管理しきれなくなって、専門業者に任せるようになりました。

大工はいくつも現場を掛持ちますから、リース屋が出来る程の資材を持つようになった業者も表れ、その資材費は請負い金額の半分程をしめますから、バブルの頃の高騰した単価の御利益を、手持ちの資材で一身に享受することが出来たのです。

知合いの型枠大工の親方の場合、ボクがこの業界に入って3 年目くらいの時に、初めて一緒に仕事をしたのですが、彼にとって「独立して初めての仕事だったんだよなぁ」と後になって言っていた現場で、8時か9時にはボクらは先に帰ってしまったのですが、毎晩12時頃までトンカントンカンやっていて、「ウルセー、何時までやってんだー」と隣から怒鳴られたからヤメタよ、というほどヒシコになって働いていました。

10年程たって再会した時は、現場に案内するボクの後を、アメ車に乗ってついてきて「ソレ、ディーゼル車か?」と失礼なことを言っていました。 アメ車からプレジデントになったのはバブルの兆しが見え始めた頃でしょうか。 たまにその愛車で呑み屋に連れていってくれたりしました。 腕には700万円だかのダイヤきらきらのローレクス、指にはそれに合うように作らせたというバカでかい指輪。オメそれじゃまるきりじゃん、という貧乏人の声にはもとより反応しません。

その後、車はベントレーになり、ガソリンをがぶ飲みするクルーザーを持っていて、「今度大島まで一緒に行かねーか?」と誘われたけど、おっかないので断りました。

最盛期、200 人の職人を使って、年間十数億円の仕事をこなした、と言いますから、資材の購入に当てた費用を考えても、3?5 億手元に残ったのでは、と思っているのですが、「金はいくらでも使えるけど、残んねえなぁ」と言っていました。

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〓画像パス〓とび

鳶という職種はけっこう多技にわたっていて、建設業では足場を組む職人から、鉄骨の建方を請負う職人、杭打ち屋の職人、海仕事をする海上鳶なんてのまで、プラント屋では重量物の据付けをする職人、木場では川に浮かんだ丸太に乗る職人まで、みな鳶と言うのですが、横の連絡はほとんど有りません。

そもそも江戸時代、屋根の上で纏を振っていたときから、ふだん何をして生計をたてていたのか、よく判らなかったのですが、明治の西洋建築の導入期、棟梁の家に生まれ、職人として働きながら大学で学び、大日本土木の創業者となった竹田米吉氏の『職人』を読んで、謎の一部がとけました。

大工が加工した梁や桁を、クレーンのない時代ですから桟橋を組んで、5人、10人と列んで担ぎ上げるのが鳶の仕事だった、と記されています。 この流れが足場組み、鉄骨の建方、重量物の据付けとなったのでしょう。

ちなみに当時の土方は穴掘り専門の職人で、人夫と厳格に区別されており、ガラが悪くて一番威張っていたそうです。現場でコンクリートを練って打設していた頃まででしょう。 今はおとなしくなってしまいました。人力の穴掘りなんてめったに有りませんし、コンクリート打ちも生コン車とポンプ車の出現で、威張る機会が無くなってしまったのです。

鳶は、橋や堤防のような土木工事にも携わっていたようです。 丸太を組んだり松杭を打ったりしていたのでしょう。 明治になってレンガ造りや石造りの建築が始まると、三股を組んでモンケンで松杭を打つのも鳶の仕事になりました。「カアチャンの為ならエーンヤコーラ」とやってるやつ。 大正12年に建てられた丸ビルの基礎には大口径の米松が使われており、これはアメリカから、蒸気機関の杭打機を持ってきて打ったのだそうです。

江戸の町は人口100万人を超えていたと言いますから、今で言う政令指定都市の条件をそなえた大都市でした。毎日のように何処かで火事があったそうです。 ポンプも無く、防火構造にもなっていない建物ばかりですから、延焼をくい止めるのが精一杯で、桶の水を手渡しで掛けるか、壊してしまうのが当時の消火活動でしょう。 屋根の上で纏を振っているのは、別に火の粉を払っていたわけではなく、自分達のグループがバラバラにならないよう、『い組』はここだ、という目印だったようで、目立つ所に一番乗りするのが纏持ちの生き甲斐だったそうです。