2001年11月アーカイブ

茶の間の正義

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〓画像パス〓正義

NHKが民業を圧迫しているのは疑いようのない事実なのに、どうして民営化の対象候補にもならないのか。圧迫されている筈の民放や新聞社が、何故その問題に触れようともせず、シラと道路公団や住宅公団の民営化を論じているのか。

『ある異常体験者の偏見』で山本七平が書いています。 マッカーサーの占領政策で、財閥や独占企業は解体された。書籍配給会社の日配も解体されたが、はるかに影響力を持つNHKや大新聞社は解体しなかった。 マッカーサーの占領統治は軍事政権なのであり、軍政には民主主義、言論の自由など有り得ない。温存は宣撫工作に必要だったからであり、戦前の戦意高揚、皇国史観から、戦後の民主主義、マッカーサー崇拝、と報道姿勢は一貫している。

この問題をとりあげると、例外的な被害者を表にたて、その影に隠れて自分達も被害者という顔をする。しかし本当の被害者は潰されて営業できなくなったものであり、それにくらべて戦中、戦後を通じて宣撫班の役割を演じたのみならず、事業を拡張した戦時利得者ではなのいか。ちょっと長くなるので意訳しちゃいましたが。

タリバンが撤退したら街には音楽が流れ、男はヒゲを剃り、女性はベールを脱いで明るさが甦った、というような報道にも気味の悪いものをかんじるな。 タリバンの支持者と見られたら北部同盟の兵士に殺される、微妙な立場の人も一杯いるだろうに。もっとヤバい人は逃げちゃっただろうが。

北朝鮮は韓国に対して、トンネルを掘って大統領府を襲撃したり、ラングーンのアウンサウン廟で大統領と閣僚を待伏せして爆破したり、金賢姫らを使った航空機爆破と、随分なことをやっていますが、韓国が断固として北朝鮮に爆撃をくわえたら、同じような支持が得られたかというと、アメリカの政治判断の問題になってしまうのでしょう。当時は冷戦下で、おまけに対岸の火事、結果が物語っています。犯人が捕まって、証拠も今回よりハッキリしていているのですが。

都会人が選挙にいかないのは、テレビや新聞が、茶の間に正義をまき散らすからではないかと思うのですが。ニュースキャスターや新聞が正義で、政治家はアホか悪党、というイメージだもんな。 国会喚問の映像を放映させないのは正解でしょう。

宅配便

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〓画像パス〓一斗缶

御中元や御歳暮の季節になると、集まる所には集まるもので、ガレージが一杯になってしまって、車をいれることも出来ない、なんて家もあります。 配達の運転手にとっては、一気に荷物が捌けるので有難いお客さんでしょう。

昔、デパートの配達のアルバイトをやったことがあるのですが、一日2回、自転車に荷物を積んで出かけて、必ず2回配達する家ってのがありました。そういう家では玄関先にポットに入った冷たい麦茶なんか用意されていて、ハンコなんか直ぐ出て来るし、段取りがいいのです。

「生徒からの贈り物はお断りしてますので.. 」なんていう学校の先生の所は困りもので、一個いくらの歩合制ではタダ働きになってしまいます。あと、近所つき合いの悪い、留守のとき預かってもらえない家。今は皆そうなのか、宅配のあんちゃんも預かってくれとは言わなくなりました。

荷物では商品券が一番楽でした。だって前後に箱を付けた実用車だかんね。バイト先で最初言われたのが「自転車に乗れるか?」で、そんなもん乗れねえでかと荷物を積んで跨がったけど、ハンドルよれよれしたもんね、はじめ。

ビールひとケースなんていうのは、他の荷物あまり積めなくなるので困りもの、最悪だったのが、何故か当時あった一斗缶の醤油でした。重いんだもの。よくあんな物贈るよ、食卓に一斗缶の醤油。

給食センターの仕事をやったとき、醤油のタンクを置く架台と、ローリーから給油する為の配管があって、醤油はローリーで来るというのを、その時初めて知りました。 そういえば、大きなビアホールではビールがローリーで運ばれてきて、味見をして納得できなければローリーごと返す、なんて話しを読んだことがあります。

しかし、あの一斗間缶と一斗樽が同じ容量とはどうしても思えなんな。
〓画像パス〓江戸っ子

宵越しの銭を持たないという江戸っ子の美学と、金利が 0.1% になっても銀行から資金が逃げ出さないという、貯蓄好きの今の日本人とは、どうも上手く結びつきません。 あの気質は、度重なる大火で全てを失うという憂目にあったからだ、という説がありますが、それが今の時代の浪費家に受継がれている訳でもありますまい。

当時はなくて今あるもの、それは老後の生活の心配でしょう。 50才が平均の寿命なら、40前に隠居したとしても、せいぜい15年、浮世の無常をはらはらと受入れていればいいのですが、80歳まで生きるとなったら、人生観をもうひとつ用意しなければならないでしょう。

江戸は当時の世界で唯一の100万都市だったそうです。 幕末の日本の人口は3000万人ほどだったのではないか、と云われていますから、総人口の一割が集中する今の東京に比べると、農村の人口比率が圧倒的に多いのは当然と言えば当然です。

こちらは、いつ来るか分らない飢饉に備えて堅実にやっていたのでしょう。その伝統が今日の、貯蓄に励む姿に受継がれているのではないか、と思うのですが。 農家の土地へのこだわり、米の自給に対する一般の根強い支持、飢饉に対する潜在意識がそうさせているような気がします。

永井荷風の日記を、戦前、戦中、戦後の経済史として捉えた『断腸亭の経済学』を読んで、作者、吉野俊彦氏の経歴を見たら、日銀に36年、その後、山一に24年とありました。実に60年、83になるまでサラリーマンをやっているのです。 潰れなかったらまだやっていたのではないか、という永遠のサラリーマン。

天皇や公家でも、出家して隠居するという風習ががありました。 権力者は自分の寺まで建ててしまったりします。平等院鳳凰堂とか金閣、銀閣なんてその類いでしょう。 天下りというのは隠居仕事なのかもしれません。 日銀マンから山一の研究所の理事長なら、居心地は良かったでしょう。 永井荷風の研究も出来たことだし。