2002年5月アーカイブ

家具家具

大江健三郎がレジオンドヌール勲章を授与されるところをニュースでやっていました。ノーベル賞をもらったあと文化勲章を蹴って右側からさんざ攻撃されて、今度はフランスの勲章をもらってしまった、その受賞の弁で、フランスの核実験に反対したが ... となにやらボソボソ言っていました。

彼の初期の作品に『日常生活の冒険』というのがあります。登場人物のモデルは、高校の同級生であり、義兄でもあった伊丹十三ではないか、と思っているのですが、行動することに対して引け目を感じているように見えるのは、当時流行っていた実存主義の影響でしょうか。

かつての冒険家は海の彼方にある何かを求めて船をだしたり、南極点や北極点の一番乗りを競ったり、アフリカ大陸の奥に、ヒマラヤの山奥にと、活躍の場があったのですが、いまは冒険家を自称するのでさえ、相当な勇気を要します。 条件を変えて、体力の限界に挑むしかなくなってしまいました。

徒歩で北極縦断に挑戦したり、無酸素でチョモランマに登ったり、気球で世界一周に、素潜りで、と、それなりの意義を探すのに苦労しています。しかし、体力の限界に迫る程、価値が増すというのも変な話です。

チョモランマの頂上付近には回収されることのない遺体がゴロゴロしているのだというのですが、多国籍の登山希望者を集めてツアーを組む業者まであるようで、冷凍状態の登山家の遺体を横目で見ながら頂上を目指すのは、冒険というより肝試しだな、これは。

ベツレヘムの聖誕教会に立て籠ったパレスチナの住民とイスラエルの兵士が対峙している現場に、日本人旅行者の男女2人がそうとは知らずノコノコ近付いていって、みんな呆気にとられていた、という記事がありました。

カンボジアやアフガンの地雷原を走破したり、無断で北朝鮮を縦断するというのは冒険とは言わないのかしら。

フィリピンではハイジャックして乗客の金品を奪い、パラシュートで脱出するという、成功すれば犯罪史上に残りそうな事件がありました。犯人は飛び下りる間際に躊躇したみたいですが、乗務員に突き落とされ、おまけに自作のパラシュートが開かず死亡しているのが見つかったというのですが。

そういえば風船おじさんというのもあったっけ。

ふくろう便

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ペットペット

水戸の郵便局で、配送のトラックの荷台に1.5 mくらいのカラフルな蛇がいて、警察が出て捕獲したという地方版の記事がありました。蛇くらいで警察が出て行かなきゃならんもんかね、と思っていたら、後日持ち主が判明して、これがなんと、インターネットのオークションで買い手がきまったので、小包で送ったのが逃げ出したと言うのですが、しかし、小包で送るかね。普通。

ハリーポッターの影響でふくろうをペットにするのが流行っているのだそうです。えさの乾燥カエルも売っているんだって。伝書鳩の代わりにもならないと思うのですが、夜行性のペットのおかげで、夜更かしする子供達が増えたことでしょう。

私の部屋の上の階は3年ほど前から空家になっているのですが、掃除をしに行ったらコウモリが死んでいた、と騒いでいました。掃除をしないことで有名だった前の住人が飼っていたわけではないのでしょうが、同居していた可能性は否定できません。

コンクリート造の建物なのですが、ネズミが走り回っていた時期もありました。配管が貫通している所の隙間でも通るのか、隣はもちろん、上下の階まで自由に行き来していたようです。コンクリートの壁と内装の仕上げ材の僅かな隙間でゴソゴソやっていたり、煩くてしょうがないのであちこちの部屋に駆除剤を置いたら、静かになりました。

一度クーラーの横から、ひん死の体で出て来たところを見たことがあったのですが、もしかするとあの裏で死んでいるのかもしれません。

そういえば、農家の古い家には、ネズミを食べてくれる青大将が住んでいて、たまに梁の上からボタッと落ちてきたりするんだよなあ、と言っていました。仏壇にお供えに行ったら、裏からチロチロ舌をだしていた、なんて話もあるし。

しかし、蛇やふくろうが住んでいる家というのは化け物屋敷じゃないのかね。

自殺小説

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遺書遺書

カート・ヴォネガットの『死圏』、秘密裏に打ち上げられた宇宙船のパイロットが、月と地球の間で霊魂の声を聴くという、1950年、まだ人工衛星のなかったころのSF短編小説です。

霊界にはいった宇宙船は、オーロラのような群集の様々な声を聴き、ほほえみながら手を振っている死別した妻をみる。 パイロットの交信から、『死後の世界の発見』が人類に及ぼす影響を危惧した当局が、地上への回収を計るのですが、パイロットは滑空用の操縦装置を作動させず、海上に墜落する。

斉藤美奈子は小説のジャンルに『おめでた』にあたらない、妊娠を扱った作品があることを発見して、評論家デビューしました。受胎告知の瞬間と、その後の男女の葛藤。妊娠を扱った小説のリストをつくり、分析して仕分けする。よくやるよ、という大作です。

後追いという非難は免れませんが、私は自殺を扱ったジャンルがあることを発見しました。自殺を扱った小説のリストをつくって、分析して仕分けするだけの根気も読書欲もありませんが、言い出しっぺとしてのなんらかの権利にツバ。

知人の自殺によって始まる物語、主人公の遺書の形をとる小説、誰かの自殺でもって幕を引く作品、パターンは知れているので仕分けに関しては大した事はないと思うのですが、 自殺する人材に事欠かない業界とはいえ、当人の自殺に正面から取り組んだ作品があるのかどうか、となると問題が難しくなります。

自殺願望と創作意欲は、はたして両立するものやいなや。

遺書の名作はありますが、えてして短い。 藤村操の『厳頭の感』は若書きの詩という感はまぬがれず、マラソンランナー円谷幸吉の遺書の方が感動的だ。

最後の作品にその影を見る、ということなら芥川龍之介や、何回か未遂事件をおこした太宰治ということになるのでしょうが。

三島由紀夫の『豊饒の海』四部作となると、退屈に耐えかねて死を選んだのではないか、という感じもしないではないし、川端康成の場合、ノーベル賞を受けたような作家が普通、ガス管くわえて自殺するか?となるのですが。 

米一俵

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米一俵米一俵

いつもは5月の連休中にやっている田植、今年は暖かかったので早めに済ませてしまったようです。普通にやって1反から7俵くらい採れるのだと言っていたけど。

米一俵は60キロです。今時こんな重たいものを担ぐ人はいないので、30キロの袋で流通しています。これを半タラと言っていますが、多分半タワラのことでしょう。

土建屋はコンクリートのボリュームや土量を表す時、リューベと言います。1立方メートルのこと。フランス語かなと思っていたこともあるのですが、どうも平米、立米の立米のことみたいです。

セメント袋は長いこと40キロでしたが、労働省の指導でいまは25キロになっています。若い店員にセメント20袋も配達させるとみんな辞めてっちゃうんだよね、と建材屋のおやじがボヤいていたものです。昔は50キロあったというのですが。

その一方でアスレティックジムで体を鍛える人たちもいます。重たいバーベルを持ち上げたり、ローラーの上で走ったり。肉体労働は敬遠され、生産に寄与することのない汗をかく。人はパンのみに生きるにあらず。

ディズニーランドの建設工事でアメリカ人と一緒に仕事をしたという職人は、体力的には道具ひとつ持つにしても全然違いますね、と言っていた。

テレビ局のクルーにしても、現場でカメラを回すとき、日本人のカメラマンには助手がついてコードなんか持っているけど、あちらでは女性のカメラマンでも一人で機材を担ぎ、被写体に向かってダーッと走り出すんだって。

日本で最初のF1のドライバーになった中島悟も、重たいハンドルと格闘しなければならなかった苦労を語っています。

昔は彼等に伍してがんばってきた先輩たちには悪いけど、そんなところで無理をしても結果に大きな違いがないのも事実でしょう。 野茂が大リーグに行った時、ウェートトレーニングに励む筋肉自慢のバッターばかりなので、何とかやっていけると確信した、と言っていました。

長いスコップの柄の先にロープをつけて、二人一組で穴を掘る国の映像を観たことがあります。スコップで掘る人、ロープを引っ張ってその土をはねる人。

アメ車

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アメ車アメ車

いつの頃からか、ヤクザがベンツに乗るようになりました。以前はアメ車と相場が決まっていて、それなりに絵になっていたのですが。

60年代のアメ車には夢がありました。後ろに羽根が生えていて、アメリカのメーカーはその尾ひれのデザインを競っていたのじゃないかしら。ブリキのおもちゃみたいだった当時の国産車に比べて、なんとも大きくてゴージャスでした。

悪趣味の極みみたいに言われ続けて、尾ひれを取ることを余儀なくされたアメ車は、陸に上がったクジラみたいになってしまって、ガソリンはがぶ飲みするわ、故障が多いわと、ろくなことを言われなくなり、下っ端のヤクザ御用達の車としてしかお目にかかれなくなりました。

70年代の後半のことですが、町うちで仕事をしていたとき、現場の隣にヤクザ屋さんが住んでいました。リンカーンが帰ってくると若い衆がサッと出て来て、モップで車を磨いている姿が見えたりして、それなりに警戒はしていたのですが。

2階のコンクリートを打っていたときのことです。下で変なやつが呼んでいる。「なんな、この忙しいのに!」と言ったら、いいから降りてこい、という。付いて行ったらそのヤクザ屋さんの庭先で、停まっていたリンカーンのボンネットの上にコンクリートを圧送したとき飛び散ったモルタルがピタンと付いている。

「あらま、拭きましょか」と言ったら、「ばかやろキズになったらどーするんじゃい」とすごまれたりして、上の方で話がつくまで脅かされたりすかされたり、小一時間かかったことがありました。

話がついてしまうと、みんなで車をミガキながら、こちらのおばちゃんが「前より奇麗になっちゃったネ」とか「また、おばちゃん、うまいこと言っちゃって」と若い衆が応じたりして、和気あいあいになってしまったり。

親分が、たんすの中から10センチくらいの札束を封筒にぎゅうぎゅう押し込んで何処かに出掛ける姿を見かけたり。

土建屋には地回りも寄り付かない、という時代があったというのですが。 戦後の混乱期を経て外見を取繕うようになってから、ヤクザそのもの以外の土建屋は、きわめて弱腰になってしまいました。


バイキングバイキング

乾杯!と言ったとたんに料理がなくなってしまう、という政治家のパーティーには行ったことありませんが、立食のパーティーに何度か出るうちに、飲み食いのコツがあることが解りました。

料理の皿と飲み物のグラスを同時に持ってしまってはいけないのですね。 フォークを持つ手が足らなくなる。 最寄りのテーブルにどちらかを置いて作業を進めることになるのですが、大人数の場合、席を離れた隙にテーブルが占領されてしまい、何れが自分のグラスだったか分からなくなる。

乾杯で飲み干したビールのグラスはそこらのテーブルにうっちゃって、料理を取りに行かなければいけません。 前菜、メーンディッシュ、デザートという順番にこだわると、混雑の渦に巻き込まれるので空いている所でとりあえずの食料を確保する。

いくら空いているからといって、良く見ないとオードブルのパテとデザートのケーキを間違えて取ってしまうことがある。

食べ終わったら近くのテーブルに残材を置き、ウィスキーの水割りを運ぶコンパニオンを捕まえる。見当たらない場合は、水割り作りに専念しているカウンターに自ら足を運び飲み物を確保する。

親しい人との会話くらいにして、どーせ覚えていてくれないような偉い人の所には行かない。挨拶されて誰だっけ?と思っても深追いはせず、その余韻に浸りながら飲む。

グラスが空いたら、そこらのテーブルに置いて次の料理を取りに行く。 パスタ、ピラフ、やきそばの類いは急がなくていい。無くなれば出来たてが補充されたりする。混雑を避けて採ったパンが以外にウィスキーに合ったりする。料理を皿に採ったらひと回りして次の料理を下見しておく。

と、まあ、飲むときは飲むことに、食べるときは食べることに専念すればよかったのですね。で、キリがないので最後にコーヒーを飲んで途中で速やかに立ち去れば良い。

ホテルの中を見学しながら駐車場に向かっていたら、入口で遅れて来た知り合いにバッタリ遭ってしまった。「もう帰るの?随分早いね」だと。遅れてくるな、つーの。