貧乏史観

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映画産業が斜陽と言われるようになったのは、炭坑のそれと同じくらいの時期であったと思うのですが、今でも撮影所の近所の赤堤灯では、芸術論を展開する若手にはことかかないようです。そんな貧乏たらしいことやっていて人に夢を与えるものが撮れるのかね、と皮肉られながら40年はやっているのだからなかなかしぶとい。

70年代フォークブームは、四畳半のフォークソングなんて言われるようになりました。『神田川』みたいに銭湯の外で石鹸をカタカタ鳴らして待つ女。待たされるのは男の方だろうが、と思わんでもなかったのすが、貧乏を歌ったわけでもないのに、今からみると貧乏たらしくもあります。つかのまの貧乏生活を楽しんでいたのかしら。今でも当時のままのアパートに暮らす人がいたら、どう言ったらいいのかわかりませんが。

世界の食料問題に関する本を読みかけて、牛肉を生産するために費やされる飼料は、貧しい国々の餓死していく民衆を犠牲にしているのだ、なんて言われると、その頃の残党かな、と思ってしまうもの。

じゃあ、牛が我がものがおに道を行く、インドの貧しい民衆はどーなんだ。 SARS ウイルスを媒介したと疑われているハクビシンで商売している中国の農民はどーなんだ。

社会主義政権が崩壊して自由主義の渦に巻き込まれた東欧諸国の文化人は、拠り所を道徳的な優位に求める、と西尾幹二が『全体主義の呪』で書いています。 旧東ドイツに湯水の如く大金を注ぎ込んでも一向に効果が現れないどころか、道徳云々と言われてしまう旧西ドイツ社会のジレンマ。

豊かな精神生活は物質的貧困のなかにこそ存在する、かのごとく、昔から、竹林の七賢とか、朝鮮のソンビ、日本では宮沢賢治みたいなタイプが根強い人気を保っています。 精神のバランスシートみたいな気もするけど。

ペットとして飼われていたのに、SARS 騒ぎで捨てられてしまって、途方に暮れたような目をしたハクビシンの写真が新聞にでていたっけ。
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